自分の殻を破るという枠を広げることを書いたが、もう一つ大きく影響するのが社会の「枠」だと思う。

必ず私たちはどこかに属している。そしてその属しているものにも枠はある。
この社会の「枠」に余裕がない場合、アメリカンドリームは成り立ちにくい。

日本がバブルのころはこの社会の「枠」がどんどん広がっていた。それはちょっと前の中国も同じ。

そして、私たち自身が破ろうとする枠も社会の「枠」が固く硬直していれば個人の枠も破るのが難しくなる。

そうすると、人の中にある野望という獣が道を外し、変な犯罪が増えてくる。

この野望というのは枠を破りたいとするすごく強い願望だが、文字のごとく「野」の「望」なので、「野」という何でもあり、何が出てくるかわからないという危険な世界に飛び込む人は割合的にはごく限られている。

その野望はちょっと置いておき、今の日本のように固く硬直している枠の中で自分の枠を広げる時にはどこまで枠を広げられるかをイメージ、想像しておくことがいる。

その反面、枠の中にあるものを見つめる必要がある。
いわゆる自分の足元を見る。という事で、小さな幸せを見つめるという事。

これは、若い世代の人の方が上手だと思う。

介護施設で問題になる人はこの枠の捉え方を変えれない人。
過去の栄光という亡霊にしがみついている人で主に男性。
これが家族はもちろんスタッフや周りの人に大きな害を与えているのがいつまでたっても気づかない。

これが老害。

もう一つの枠である、社会の「枠」の中で生きる時、大切なのは自分がどうにかできる枠とどうにもできない枠を区別することだろう。
だから、今の若い人は自分の枠を大切にしている。

頑張らないのではなく頑張った先に欲しいものがないから頑張らないだけなのだろう。

それを踏まえず、すぐやめてしまうとか不平を言うのはお門違いだと思う。

魅力のある所に人は集まる。そして、魅力のないところで今頑張っている人はその中で自分の枠をいかに魅力的にするかでその自分の属している枠は少しずつ変わる可能性がある。

というより、もっと自分の枠、それが男性であれば会社よりも家庭という枠に目を向けないと会社という枠が定年で終わった後、家庭の中にある自分の枠がお粗末だったらとんでもないことになる。

そう。自分の魅力を見直してみることがいくつになっても必要なのだろう。
それは何も見た目の魅力ではない。