心の状態をシーソーという形で表したのだが、心も体も現在にあり、次の形が落ち着いている状態でシーソーには不要な力がかかっていない。

という事は心も体もリラックスできる状態が下の図である。

 

 

では、執着している時というのはどういう状態だろうか。

執着するとき、その基となること、出来事がある。

そして、執着していることを思い出している時は、心は現在にはなく、その出来事があった時やそれに伴った出来事があった過去のどこかの時点に心がいる。

それが下の図である。

 

この時、自ずとシーソーは傾き、そのバランスを取るため体が踏ん張るわけだが、その先、未来に良い事があったとしても心が過去にいる時の視線は現実の視線とは異なるところを見ているのでげんじつのしあわせ、近い未来の幸せには視線が行かない。

 

これは悩んでいる人も同じで、心が過去のある時点にとどまっている間というのは目先の幸せには目がいかず、かすかに視野に入っている時でも実感できないのでいつまでもバランスが取れず、それを抱える身体がストレスという力で支えようとしている。

 

だから疲れる。

 

という事がこの図から理解してもらえると思う。