人は
一度話したことがある人なら
顔を覚える。


その人の声のニュアンスも
言い回しも
全て記憶するのは


人間だかららしいですよ。










こんばんは。

ミヤモトです。



実はここ半年くらい前に
母を亡くした。

突然ではなかったし
覚悟もしていたから
どちらかといえば
やっとお互い楽になれるね。
と、言えるくらい
母もあまり後悔は無かったんじゃないかと
少し思う。

まあ

そんな事は

無いんだろうがな!


亡くなって以来
実家の母の遺品や部屋全部を片付けていくと
やっと終わりが見えて来そうな時に

自分の写真がアルバムと
バラの写真が見つかったのだ。


ある程度作ったであろう
アルバムと
それに入らなかったであろう
写真達は
長年
こんなところに居たのか
本人達もきっと
見つけてくれたことに
喜んだろう。。


自宅に持ち帰ろうと
車のトランクへ運んだがいいが

まあ…
何ヶ月かけて
やるべきなのかというくらいの量と
年表別にしないといけない件が

握るハンドルが汗まみれになっていった。


仕方なく開けてみると
10年間くらいの写真がバラバラになって
箱詰めされていたのだ。


ここまで来ると
誰か身内を連れて帰って
・これはいつ頃なのか
・いつ誰と何をしたのか

解説付きが欲しい。キメてる

そんな時に
裏を見ると
いつの何のイベントなのか
きちんと書いてあったのだ。


ミヤモトは
そこそこいいお年。



白黒写真はないが
それなりの年齢という事は
それなりの歴史を持っていて
まず取ってある、という事実に
この量と共にあることを思った。



あぁ。
母は
親でいようとし続けたんだ。
と。




当時、
父がダンボールを見つけた際
(要らないもの)という扱いで
産廃で出そうとしていたのだ。

それを一度止めて
確認する旨を伝えて持ち帰ったのだが


きっと父は
上手く言えないが
自分を可愛がってはいたが
寄り添うよりも
その時を楽しく生きていたんだと感じた。


しかし
母が残したこのバラ写真は


父以上に
こんな時の自分はどうあってこうして育てたのだ。
という
一種の勲章のようなもの
持って生きては
見返して
思っていたのかもしれない。





それを思った瞬間
涙が溢れるほど
強い母しか頭に浮かばなかった。。。




我が家は
母が亡くなりバラバラになった。



こんなことを言うと
怒られるかもしれないが(小さくしとこ)



それは
同時に
一生懸命頑張ってきた母が
どれほど家族に何をしたのかを

ほんの少し
感じることができた気がする。




だからと言って
あの生き方は私には出来ない。

ならば

少しでも
母の母で居た瞬間を
見過ごす訳にはいかなければ

母が私の親であったことを
一生
忘れてはいけないのだと悟った。





こんな綺麗な言葉を並べるだけでは
彼女の努力は
満たされないほど


努力と強さとあのプラス思考は
誰にも勝らないのだ。








そうして私は
スキマ時間を使って
誰も居ない部屋で1人…


年代別に分けては
ポストイットして
写真を撮るのが下手な父の
ブレた写真だけ捨てていき…
(残念親父。。笑)


このお母さんは誰だっけなあ…
と、思えば
幼馴染に連絡を取り
小関さんのお母さんだと言うことも
きちんと確認し。笑



これから
母の作った
ミヤモトのアルバムに
追加して貼るのだった。。。






何度か
子供の育て方について母と話をし
母を否定するような意見もしたことがある。





だけども
これだけは一度だけ言う。




オカン。
親でいようとし続けて
努力したことを感謝している。
だから


オカンも

親で居続けた事を
私が向こうに行くまで忘れないで欲しい。



楽に
自由に
会いたい人に会って
したい事をして

姉貴から親孝行してもらってくれ。





奇しくも本日は
最後に母と家で会った日だった。



アディオス。