こんばんは。

ミヤモトです。


春ですね。



ミヤモトが住む関東圏は

そこそこ見頃を迎えております。




こんな時期、

いつも思い出すことがある。。













当時ミヤモトは

小学5年生。




新学期を迎えると

地域で班ごとに登校する

【登校班】というものが

ミヤモトの学区にはある。




ミヤモトは

学区の中でも結構

隣校との境目に住んでいて

道を渡れば他校。というギリギリの学区で

学校から徒歩で2.30分かかる

校内では1.2位を争うほどの学区内を

登校していた。



もちろん

周りに住む子供は

当時少子化のおかげで

10人程度しかいない班だったため

当時は

隣の班と統合するか。

でもそうすると

集合場所までの交通安全が保てない。。


と、話し合いが熱くなっていた。



そんな学区の端にある班の

班長になったあの頃。。





ある事件が起きたのだ。










いつものように

7時40分に集合し

揃って点呼をとったあと

5分ほどすると


隣の班が同じ時間を

同じ道で通るため

挨拶をして

1班ずつ、真っ直ぐ並んで登校していた。




そして

隣の班の最後の子が寝坊をして

遅れを取ろうとした時…



うちの班のT君は


「待って。俺だけ待つよ。先行ってよ。」


と私に言うのだ。





一つ違いのT君に

私は


「彼女は隣の班だから、君に関係がない」


と伝えて

我々の遅刻も可能性にあったので

先を急ごうとした。



しかし


「彼女と僕は友達なんだ。」



確かにこの辺りの同級生というのは

なかなか人も少ないので

仲良くして大切にしたい気持ちもある。



しかし


これは

ルールであって


もはや


相手の班の子が

その時間に集まらない理由があるならば

その班の班長が定めたルールで

その子を置いていくなり待つなりする

という約束なのだ。




それを

我が班のT君は

個々で待つ。と言うのは


もはや

登校班が必要ではないと言われているような

ものではないかと

自分は思った。




とても当時は

強めにT君にその事を主張して

言い争いになった記憶がある。



その後なんとか

まとまって理解したと思ったら

その隣の班の子が

いつのまにか合流し、

内容を聞いていたようで

泣き出してしまったのだ。




すると

遅刻した事を班長に伝えるべくして

出て来た

親御さんが

謝りながら私に「先に行っていいからね」と

伝えて来た。



そこでT君は

やっと納得した様子で

彼は彼女を慰めながら

まあ結局

2班仲良く登校したのだが…




翌日の放課後

隣の班長と私が下校中、

その遅刻を数日前にした女の子の家の前で

うちの班のT君と話している様子が見えた。


すると

彼女は私に気付いて

逃げ出すように家に入るかと思えば

代わりばんこで

彼女の父親が家から飛び出て来たのだ。



唐突にミヤモトに


「やい。お前うちの娘をいじめただろ。」

と、なんとも藪から棒な言いがかりを

つけられて来たので

まず、

何をもってその言葉が出たのか

聞いたところ


話を聞く様子もなく

「うちの娘が何をしたというのだ。お前は何の権限があって、泣かせたんだ」と

一方的に言って来たのだ。




そこそこ近所で大きい声を出した

親が出て来たので

そろそろ大事になりそうだとおもい

これはもう

私の友達である彼女の班長を

巻き込むわけにはいかなくなり

彼と同じ班の後輩のT君には

帰宅するよう呼びかけた。




しかし

彼らは彼女の父親が

私ではなく自分らにも罵声を浴びせてるように

思えたようで

腰が抜けたように

動けなかったのだ。。。





仕方がないので

私は

彼女と話がしたい。と申し出て

彼女の父親と一対一で話をしたのだが




どうも

相手方は親が出て大事にしたいと

申し出た。



ならばもう

きちんと話さないと分からないのだろうと

歳上だろうがなんだろうが

人として私は

そう言うルールが我が校にあるのだ。


と主張を繰り返した。



しかし



彼女の父親というのは

実はアル中でもあったらしく

相手が悪く







額を打たれた。






私は








あの痛みを未だに

忘れることはできなかった。。。




もちろん友人の班長も

喧嘩を止めようとしたのだが

彼も押されてこけ落ちた…。。




彼女の友達であるT君は

走って自分の親を呼ぼうとしたのだが


「…何も言うな。これは子供同士のことなんだ。」



と私は言って

彼と友人の班長を先に帰らせた。





その後の記憶は特に覚えていないが


どうやら

話が分かってもらえず

ランドセルをボコボコにされ

泣きながら帰って来たのを覚えている。






もちろん

帰ってきてから

我が家の母は

相当不安だっと思う。



しかし


これは子供同士の喧嘩なんだ。


親が出てくることでもなければ

子供が片付けなければいけないものだと

私は思っていたのだ。



だから

尚更

愚痴もこぼさず

その晩の風呂はすごく痛かった記憶仕方ない。







数日後

どうやら

近所から嗅ぎつけた母が

内容を聞いて来たが

相手にしていない。と主張をして

不安をなんとか解消させたが




自分としては

殴られた意味を問いたくて

彼女の父親と

もう一度話し合いをしたいと

思っていたが…











その何ヶ月後に


彼女は両親が離婚し

母親から謝罪を受けて

彼女は転向をしてしまった…






もちろんT君には

その後

謝罪をしたのだが

彼の両親からも


「うちの馬鹿がごめんね。」と

謝罪を受けて



事なきを得た。








今この世の中




なんでも大体

親が出てくる時代だ。





あとは

メールで謝罪をする。なんでことも

少なくない。






しかし


いつか

後悔する人生もあれば





いい経験として残る人生もある。






その辺りをよく考えて




子供には

接したいと

思っている。







今では考えられない


他人の親からのお叱りの理由を



今の子達は

知っているのであろうか。