晴れ「二十億光年の孤独」谷川俊太郎著より。驚きキラキラクローバー

すでに知名度も高い谷川さんだが、「二十億光年の孤独」は1952年に初めて出版された詩集のタイトルだった。これを書いたのは18歳の頃だった。またここで取り上げたフレーズは解説の山田馨氏によるものだった。

谷川さんはもともと集団生活にはなじめなかったようだ。学校嫌いで、教師への反抗、不登校、学力低下という悪循環が少年(谷川さん)を追つめていた。なんとか高校を卒業しても、大学にも進学したくなかったようだ。

つまり親のスネをかじるしかなかった。鬱屈を忘れるための当時の趣味は模型飛行機づくり、ラジオの組立て、詩をつくることだった。

そこで業を煮やした父から「おまえどうする気なんだ、大学にも行かないで」と問い詰められて「こういうものを書いています」と二冊の大学ノートを差し出したという。

するとその詩を読んだ父は、鉛筆でに◎や○で詩にランクづけをしていったのだ。息子の詩に興奮し衝撃をうけたという。その父とは哲学者の谷川徹三氏であったが、若い頃は自身も詩を書き、文芸批評をしていた。

もちろん詩はそれだけのすごい迫力を持っていたのだろうが、たまたま父がそれを評価できる人物だったというところから谷川さんの人生は大きく変わって行ったのだ。ちょっと驚くべき偶然・・・?必然・・・?