「人を10分ひきつける話す力」齋藤孝著より。![]()
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ここにある「平凡な話をする」の反対は「他人と違うことを話そう」という意識だと思える。氏は平凡でつまらない話をすることは、聞いている人の時間を奪っていることになると断言する。
それがたとえ3分でも100人を相手にしていれば、300分、つまり5時間になるわけだ。計算上は恐ろしいほどの時間量になる。だから長い話で、意味のない話は犯罪的行為だとまで言っている。
別の表現もしている。それは、話を聞いてもらうことは、聞いている人たちの貴重な時間を預かっているということだ。だからお金を預けられているのと同じで、利子をつけて返さなければいけないものだった。それは意味のあることをきちんと相手に伝えて納得させられるかどうかということでもあった。
そこで必要なのは「おもしろいことを言おう」という強い意志を持つことだったのだ。おもしろい、とは単に笑えるということではなく、聞いてためになったということだ。納得できるということは、共感できる話ということになる。
独りよがりの話をしたところで、だれも共感は持てないもの。齋藤氏はおもしろいたとえで語っている。それは独りよがりの話はホームビデオのようなものだという。それは、他人の結婚式や子どもが映っているビデオはよほどのオモシロ映像が映ってない限り退屈なものだという。
この比喩自体かなり納得できるたとえでもあるな。義理でそんなものを見ても面白くも何ともない。似たようなものが、写真(アルバム)でもいえる。かつて、知人に旅から帰ったあとで数百枚の写真を見せられたが、実に退屈なものだったことがある。
タイトルのフレーズとはややずれてしまったが、人にとっておもしろいものはやはりそれなりに意味があって納得できる話でなければならないものだった。意味もなく面白く笑えるものはお笑い芸人に任せておけばいいかな・・・