「メトロミニッツ」2007.2.20号より。
ここではまた別の視点から贅沢ということをとらえていた。藤原新也氏(作家)は「毎年の年の始めに一回、浪費とも言える贅沢をすることに決めている」という。
しかも、それはフグ、ホッケ、チャンポンなどをその年ごとに食べることだった。なんで、それが贅沢なのか?と思ってしまう。
しかし、彼の場合一杯のチャンポンを食べるためにわざわざ本場と言われる現地、長崎まで行くのだ。つまり、食べものに比べて交通費、宿泊代などのほうが数万円もかかる。チャンポン一杯はせいぜい800円程度だ。バカバカしいと言ってしまえばそれまでだが。
いくら本場とはいえ、食べものが安くて旅費、宿泊代が高いほど贅沢感が増すような気もしてくる。他の目的はなくただ決まったものを食べるためだけに行くというのは実に贅沢だ。浪費するのはお金だけではなく時間もそうだ。
地元や勤務先の近くで食べるなら、数十分で済んでしまうものを、場合によっては往復で40時間以上もかけることになる。そのほか出発までの準備も入れたらさらに費やす時間は増えるだろう。
たった一つのものを目的とするために生じる時間やお金の浪費は実に贅沢なものと気づかされる。効率が悪いことは贅沢であるのかも。いつもは急行電車に乗っているのに、同じ距離を行くのに各駅停車にゆったり乗っているだけでも・・・かな。