帰国したから公表できるが、今回の二ューヨークは、将来住んでみたい街、芸人として成長できる街だと思い、家族で住むにはどうかなど下見で訪れた。

LAやアリゾナは、あくまでも観光だったので、最高に楽しかった!

ニューヨークは、家族で住めるかどうか?目線での滞在だったのでかなり違った。

 

ウッディーアレンの映画が大好きでニューヨークに憧れた20代、「セックスアンドシティー」のドラマを自分もニューヨーカーになった気分で観ていた30代、「アドバンス」の映画では派手な格好をしたおばあちゃんたちがニューヨークの街を歩く姿を見て、私もこうなりたい!!と強く思ったものだ。

 

最高のニュージカル、美術館、アート、金融、世界一刺激の多い街、ニューヨーク。そして、24時間サイレンとクラクションが鳴り止まず、ゴミと人と悪臭で溢れる、みんながいつも急いでいる街ニューヨーク。拠点は、ミッドタウンとアッパーイーストの間にあるレキシントンというエリアで、綺麗で治安も良く、私が夜一人で帰るときも女性の一人歩きをたくさん見かけた。もちろんいろんな人はいるが、ニューヨークは意外にもどこも危険を感じなかった。住めるかどうかの旅だったので、マンハッタンの高級住宅街(住めるかどうかは別として)から下町、ブルックリンまですべてのエリアを歩きまわったがピンとこなかった。もちろん、面白いもの素敵なもので溢れていたのだが。あんなに憧れていたのに。たったの10日間滞在だったので、本当のニューヨークを知らずに帰国したのだろうが、住みたい!という直感は着いてすぐに湧くものだ。ロンドンは自分で行きたくて行ったのではなく、師匠が住まれるということで、移住した街であったが、着いてすぐに、ここで長く住む!というわけのわからない確信があったものだ。結局4年半住んだ。

いつも私は、わけのわからない直感を大切にする。

 

振り返れば、初めて外国に住んだのは20代前半、カナダ。次は、シンガポール、そしてロンドンに住み、またシンガポール、そしてメルボルン。全て、英国か元英国領である。コメディーも英国のコメディーが大好きで、アメリカのコメディーをほとんど見たことがなかった。

 

ニューヨークにはチャンスもいただき、素晴らしいものをたくさん吸収させていただいた。コメディークラブでも時間や会場のトラブルなどはあったが、結局爆笑が取れて納得はいったが、ここに住むことはないと確信した。

 

あんなに住みたいと思った街が、自分の住む場所ではないとわかり、最終日は少しがっかりした気分で、でもニューヨークに来れたことに感謝し、いろんなことを気づかせてくれたニューヨークにお礼をいって去ろうと、ウェストビレッジをあてもなく歩いた。

 

小さいな可愛いビンテージショップに吸い込まれるように入った。

中では、オーナーらしきアフリカ系アメリカ人の華奢で素敵な女性が、お客さんとおしゃべりをしていた。「うちの旦那がツアーに出ていて、家の半分が空っぽになったみたいで、落ち着かないの。いつもはついていくのに、今回は残ることにしたのよ。あ〜一緒に行けばよかった。」きっとすごく仲の良い夫婦なんだな〜。そのお客さんが去って、私とオーナー2人だけになり、たわいもない会話が始まった。話しているうちに、彼女の旦那さんはメルボルン出身だということがわかった!このニューヨークで、地球の反対側のメルボルン出身だなんて!意気投合して話が弾んだ。すると、なんとそのメルボルン出身の旦那さんは、私の大好きなウッディーアレンのジャズバンドのメンバーで今一緒にツアー中というではないか!こんなところで、ウッディーアレンと少しつながるとは。最後に彼女は、私と息子に、I LOVE NY のデザインのTシャツを2枚プレゼントしてくれた。

熱いものが胸からこみ上げた。

 

I LOVE NY のTシャツを着て、心からニューヨークに感謝して帰国した。

 

飛行機の中で、息子に今回の旅の感想を聞くと、「僕、大きくなったらニューヨークに住みたい!」ええーーー?!ロンドン生まれで2歳までロンドンで育ったのに。覚えていないらしい。ニューヨークか。そうか、私たちと感性が違うのだ。私ももっと若い時に訪れていたら、住みたい!と思ったのかもしれない。これも縁だ。ニューヨークにはまた、いつか仕事で訪れたい!

 

今メルボルンに戻って、空の広さ、人の優しさ、コメディーの質の高さ、斬新なアートの発信の街、美味しい食べ物のある街、騒音のない街、公園がたくさんある街、自由な教育の街、世界一住みやすいと選ばれた街、メルボルンの土地にこれまで以上感謝して空港から帰路に着いた。

 

さあ、明日からはメルボルンフリンジフェスティバル7日間公演に向けての準備で忙しくなる。旅行前とは違う思いで臨むことになる。