昨日の強風は、あれは春一番だったのか??
今日も風はあるが昨日ほどではない。
ただ天気がね。
青空が見えないとやる気が出ない。
ボクは村上春樹がデビューしたときから4作目「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」まで熱烈な春樹ファンだった。
5作目「ノルウェイの森」が出たとき、大いなる失望を味わった。
あまりも通俗的すぎたからだ。
が、作品は彼にとっての初めてのベストセラーになり、以後、作家的地位を不動のものにしたのだから、結果から見れば正解だったのだろう。
再び手にしたのは「1Q84年」が刊行された時だ。
昔の村上春樹が戻って来てくれたと感じたからだ。
ただ続く「色彩を持たない多崎つくると・・」が意に添わなかったので、「騎士団長殺し」も買ったまま積読した。
先日、その「騎士団長殺し」を読み、「1Q84年」を読み返したら、時間が経つのも忘れて夢中になったので、やはり積読していた2冊の短編集「蛍、納屋を焼く、その他の短編」と「東京奇譚集」を読んだ。
最初の4冊を読み返そうと探したが見つからなかったからだ。
結論から言えば、前者は初期の3部作に通じ、後者は初期の匂いと「1Q84年」以後の世界に通じるようだ。
発表年が違うから当然と言えば当然だが。
「東京奇譚集」の1編「日々移動する腎臓のかたちをした石」冒頭の文章が示唆に富んでいてとても良かったので、そこだけ抽(ぬ)いて紹介とする。
「淳平が16歳のとき、父親がこんなことを言った。
・・・・・・・・
男が一生に出会う中で、本当に意味を持つ女は3人しかいない。それより多くもないし、少なくもない。」
女だって多分そうなんだろう。
でないと、バランスが取れないからだ。
現代物理学が発見したところによると、宇宙は奇跡的なバランスの上に成り立っているということだ。
世界の一部である、「男にとって意味のある女」と「女にとって意味のある男」は当然、バランスが取れていなければいけない。
バランスが取れずに破綻したならば、宇宙は消滅するしかない。
そんなことをちらちら考えながら読んでいたら、「偶然の旅人」で、偶然の一致、という魅力的なテーマを作品にしていた。
ボクは「偶然の一致」には、何かの意味があると2004年から考えるようになった。
鎌倉は漁師町でもあるので伊勢海老を売っている。
鎌倉の海で獲れるので、特に「鎌倉エビ」と言っている。
昨夜初めて見る映像を見つけた。
パパ・ジョン・クリーチはジョーイ・コヴィントンが67年に発見し、70年に彼がスペンサー・ドライデンに代わってJAのドラマーに就任すると、パパ・ジョンもJAの一員になった。
ジャニス・ジョプリンが亡くなったのは1970年10月4日のことだ。
バンドの創設者でもあるマーティ・ベイリンはショックのあまりステージに登場しなかったと投稿者が書いている。
なのでこのコンサートが4日以降であるのが分かる。
パパ・ジョンがJAの一員として登場したのは70年10月のことなので、ひょっとしたらこのステージがその最初かもしれないと思いながら観ていた。
19分のところで、ヨーマ・コーコーネンの後ろに見えるのはカルロス・サンタナのようだ。
Somebody To Love の初めて聴くヴァージョンもあって、23分を長いとは感じない。
しかし、音楽趣味はひとそれぞれ。
長いと感じる人もいるだろうから、18分40秒にスキップして、パパ・ジョンの演奏シーンだけご覧ください。