表紙。
扉。
「ディケンズ」じゃなく、「ヂッケンス」表記になっていることに注意。
口絵。
宮本三郎(口絵・挿絵・カバー)。
ボクのはカバーなし。
巻頭。
奥付。
昭和11年から12年にかけて中央公論社より刊行された「ヂツケンス物語全集」10冊中の第2巻。
タイトルの「北溟館物語」(ほくめいかんものがたり)は、今日「荒涼館」で流布している。
文庫でも読めるが、漫画でも読めるようだ。
内容は「ヴィクトリア朝の腐敗した訴訟制度や倒錯した慈善事業、ひいては社会全体を批判的に描いたものである。探偵小説の一面もある。」(ウィキペディア)で、なにしろ、100年に渡って裁判が行われているのだ。
莫大な遺産相続をめぐる争いで、訴訟が始まってから3代にわたっていて、もはや訴訟人の誰も中身が分からなくなっている、と作者に皮肉を言わせている。
最後に結審するのだが、莫大な遺産はすべて訴訟費用に消えてしまったと辛辣だ。
ところでこの訳文、昭和11年というのに、明治期の翻案小説のような趣向が凝らされていて、人名も地名も固有名詞は全部日本のものに置き換えられている。
理由は知らない。
ひとつ考えられるのは、前時代(19世紀)に書かれた作品なので、雰囲気を出すために、日本の前時代(明治の翻案)を手本にしたんじゃなかろうか??ということくらいだ。
たとえば、こんな手紙の訳文がある。
「拝啓、陣野氏御指定ニ従ヒ、貴嬢就職ニ付(つき)御上京ノ手配左(さ)ノ如クニ相計(あいはから)ヒ申候。」
と、候文なのだ。
昭和11年なら、さすがに候文の手紙を書く人はいなかったろうし、ロンドンへ出るのを「上京」と訳す人もいないはずだからだ。
もうひとつそう思う理由は、巻末に日本人名、日本地名に訳した元の横文字とカタカナ文字を列挙していることだ。
ヒロインの篠原恵美子は両親を知らずに伯母に育てられる。
伯母は辛く当たるが理由は知らない。
その伯母が亡くなって天涯孤独の身になったとき、「北溟館」の持ち主で訴訟を引き継いでいる初老の人物(陣野氏)から庇護を受ける。
というのが本筋で、訴訟云々は背景、
とはいえ、背景は複雑に絡んでくる。
本筋で言うと、清浄無垢で慈悲心に富んだヒロインは天然痘(ほうそう)に罹患し、痕が残って美貌が失われるが、運命を甘受して気高い心栄えはそのままだ。
『無邪気な子どもが「お姉ちゃまは、どうして綺麗なお姉ちゃまでなくなったの?」などと口走ることがあっても、私は微笑をもって応えられる程になりました。』
と作者に言わせている。
そんな彼女を以前同様愛してくれる若い医師と結婚し、陣野氏が医師のために建てた、北溟館と名付けた新居を譲り受け、北溟館の女主人(陣野氏ははじめ、北溟館の女主人になってくれませんか?と自分が求婚したのだが、若い2人の関係を知ってこんな粋な計らいをした)になるというハッパー・エンド。
80年代初めに手に入れた本なので読み返しになったが、面白いのであっという間に読み終えた。
ついでにばらすと、ヒロインは実は男爵夫人となった女性が、男爵夫人となる以前に婚約していた男性(軍人で海難事故に遭い、溺死した・・と思われていた)との間にできた子どもで、正式な結婚はまだしていなかったのでヴィクトリア朝道徳では罪の子(一家の恥)ということになる。(伯母が辛く当たっていた理由だし、母親である妹には出産後、死産だったと嘘をついた理由でもある)。
口絵は、男爵夫人が真実を知り、自分が母親だとヒロインに告白する場面だ。
翻訳者の松本泰・恵子夫妻のことはウィキに記述があったので、そちらを読んで欲しい。
誕生は2人とも明治だが、大正初めに英国に留学していて、どうも私費のようなのでお金持ちの子弟だったんだろうなとちょっぴり羨ましくなった。
英国留学中に結婚している。
2人とも探偵小説の先駆者でもあるので、作品は04年に評論社が掘り起こしていた。
お待ちかね。
メジロちゃんとポッポちゃんです。
オランダのバンドから2曲行きましょう。
「Golden Earringは、1961年にオランダで結成されたポップロックバンド。メンバー入れ替えを繰り返しながら、世界的にも息の長い活躍を続けるバンドとして知られている。」(ウィキペディア)。
2曲とも66年に現れていて、まず Daddy Buy Me A Girl。
That Day。
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