織田作之助「それでも私は行く」初版本 | 洋楽と脳の不思議ワールド

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「土曜夫人」の前に、京都日日新聞に連載(昭和21年4月25日~7月25日)されたのがこの小説。
同じように京都を舞台に、戦後の風俗を描いているのでこの2作は姉妹編として読んだほうが良い。
登場人物の造形もダブっているし、偶然に導かれて彼らが互いに交錯していく小説手法も同じだ。
一つだけ違っているのは、作中に小田策之介と名乗る本人が小説家役で登場し、主人公の梶鶴雄をモデルに「それでも私は行く」と名づけた小説を書くという構成になっている点だ。
まるでメタフィクションじゃありませんか。
ジョン・バースやトマス・ピンチョンより10年以上も早く、世界の文学の最前線を走っていたんだ! と、織田作ファンとしては思いたいのだが、事実は、新聞社が原稿を紛失したばかりか、次回分を掲載したので辻褄が合わなくなり、苦肉の策のアイディアだったらしい。
だから、メタフィクションとして深化された作品ではない。
それどころか、織田作の小説としては、失敗とは言わないまでも、出来のいいほうではない。
が、ボクはこの小説が大好きなのだ。
ひとつには、鶴雄青年が美貌の持ち主で、女性達がみんな夢中になるからで、ボクの若い時にそっくりだからだ。
(ハハハハ)
物語の方は、唯一焼け残った京都という街の夜にうごめく人間の性的本能を毒々しく描いていて、鶴雄青年はそんな京都と安楽な立場を捨てて、自覚的に生きていこうと決意するところで終っている。
あとがきは織田作本人が書いていて、昭和21年秋の日付になっているのだが、何らかの理由で発売が遅れたらしく、昭和22年7月30日発行の日付。
発売は大阪新聞社、定価50円、四六版並装、紙質はかなりひどい。
装丁と挿絵が田村孝之介という人で、日本中戦争の爪あとが残っていた時代だと思うんだけど、写真(下)のようなハイカラなお嬢さんが闊歩している挿絵。
気に入っているので掲載した。