みず |  月は欠けてるほうが美しい

 月は欠けてるほうが美しい

怪談・幽霊・猟奇・呪い・魔界・妖怪・精霊などを書いております。

何をもって才能と言うのだろう。
人間の脳にもし一滴のH2Oが余分に混入したとしたら。
狂人になるか天才になるかは誰も知れない。

「いやっ、何 !? もうっ ! 水が耳に入っちゃったじゃないの ! 」、恵子はシャンプーを流してくれてる孝司に毒づいた。
「ごめん、急にシャワーが強くなっちゃって・・・きっと、隣の部屋がシャワーを止めたんだよ。」
小さなホテルなどでは水圧の関係で、隣室が水栓を締めると水の出が一瞬強くなるのはよくある事だ。

帰りの車の中で、「孝司、綿棒持ってない ?」、恵子は水が入った左耳を抉りながら言った。
彼女の左耳は、あの水の入った時の嫌な感覚に襲われている。
「あぁ・・今ないや。家に帰ってからでも大丈夫だよ。」
二人はしばらく車を走らせ、やがて恵子のアパート付近の交差点に差し掛かかる。
ずっと車の振動が耳の不快感を加速させていた。
「ちょっ、ちょっと車止めて・・・」、恵子は強い不快感に耐えられなくなった。
「そこ曲がれば直ぐだよ。」、孝司はウィンカーを点ける。
「止めて!! って言ってるでしょっお !!!! 」、恵子は張り裂けた。
孝司は交差点すぐ手前で急ブレーキを踏む。
シートから軽くバウンドした恵子が目を開けると、フロントガラスのすぐ前に腰が直角近くに曲がった老婆が杖を付きながら、ゆっくりと横断歩道を横切っていた。
「あ、あぶなかった・・・恵子が言わなければ、婆さん轢いてた・・・」、孝司は青ざめている。

「送ってくれて、ありがと。少し寄ってく ? 」、恵子は車のドアを開けながら言う。
「いや、明日は早番だから・・・」、孝司はハンドルをさすってる。
「そう。・・・あのね、よく考えたら近所にあんな腰の曲がったお婆さん居ないの。変でしょ ? 」
「孫の所にでも遊びに来てるんじゃないの ? 俺、そろそろ寝なくちゃ。」、そう言って孝司は帰って行った。

恵子はアパートに戻り、部屋着に着替える。
勝負服をハンガーに掛けながらポケットをチェックしていると、なぜだか孝司の免許書が出てきた。
「あれっ ? なんでここにあるんだろ ? 電話しなくちゃ・・・寝てるかな ? ・・・でも、これないと仕事出来ないね。」、恵子はコールし続けた。
恵子は普段、右の耳にスマホをあてて電話する。
しかし、さすがに右手が疲れてきた。
スピーカートークにすればいいのだが、寝てる孝司が出たときすぐに話してやりたかった。
反対の手に持ち替えて左耳にスマホを当てると、「水」のせいですこしエコーがかかる。
エコーは次第にコール音を歪ませ、やがて人の声の様に聞こえさせた。
「・・・た・・かし・・・おそ・か・・・たね・・・・・・・。   ・・・ひ・・つ・・・こくてね・・・で・・も・・・あけ・・み・・・。    たか・・し・・・でん・・わ・・なって・・・る・・・よ・・。   め・・・の・・ちさ・・・い・・お・・・・・んな・・だ。」
恵子はその場で迷わず孝司の免許書をシュレッダーした。

電話が繋がらないとよく言うが、コールしている間は実は繋がっているのだ。
水中では空中の4.4倍のスピードで音が伝わる。