茶の湯を語るとき、「佗」はいつも重要な位置を占めている。その「佗」とはいったいどういうことなのだろう。千利休の孫にあたる千宗旦の遺書『禅茶録』によると、「ものの足らざる様」と記されている。
つまり「佗」とは「不完全な美」を求めることなのであろうか。明治時代、『茶の本』を記した岡倉天心は、「不完全なものを愛こうする宗教」とまで述べている。また茶の湯では、「数寄」という言葉を長い間用いてきた。今日でも「数寄者」とか「数寄
屋」とか「数寄をこらす」とかいろいろの言葉が残されている。
この「数寄」は古くは「数奇」と記され「好」の当字に過ぎないとされているが、「奇」は「偶」に対する言葉で、「佗」と同様に何かの不足することを暗示しているようでもあった。それは、奇数の数を意味し、きっちりと割り切れない姿や、整っていない様であり、「不定形」とか「不整形」「破形」「不均等」といったことを示唆していた。
これに対してョーロッパ、ことにギリシャの美は、完璧な美、割り切れた均斉の美、そして合理的であることに理念が置かれていたこととは、あまりにも対照的だったのである。
こうして古くから多くの茶人たちが愛した、いや私たち日本人の心の中に伏流のように脈々と波打っている不完全なものへのあこがれは、長らく東洋の哲理として説かれた「無」の境地に近づくためだったのかも知れない。つまり、人間は自分自身が常に不完全であるため、完全なものに不自由さを見出す。
これは、特に東洋人に多くあったからに違いない。「無」といっても、この場合有無に滞らぬ無である。その「無」が形をとるとき、「佗」であり「数奇」であり、そしてまた「渋さ」と呼ばれるものであった。それはまた、真の富を内包した「貧の美」でもあったのである。