皆さん、こんにちは。Daiki.Yです。
「何のために生まれて、何をして生きるのか」
誰もが知っている『アンパンマンのマーチ』の歌いだしです。
非常に哲学的で、人間が人生をかけて追い求めるテーマに対し、サラッと何事もなかったかのように、唐突に投げかけるその歌いだしは非常に印象的で、なぜか幼いころに聞いたまま耳に残っています。
・何のために生まれたのか
・何をして生きるのか
これに対して答えを出して生きている人は、非常に幸運で、誇り高いと思います。
一方で、「答えだと信じている」だけで、それに向かって生きていくうちに、「そうではなかった」と方向修正するのかもしれません。
ただ、一つ言えることは、誰しもが
・何のために生まれたのか
・何をして生きるのか
に対し、
「こたえられないなんて、そんなのはいやだ」
とひたすらに「幸せに向かって生きている」のではないでしょうか。
例外にもれず、僕自身も
・自分は何をしたいのか
・自分は何ができるのか
・僕の人生はどうあるべきか
を毎日、いや、毎時間考えて生きています。
しかし、それに対して明確な答えは出たことがありません。
いや、正確にいうと、「明確な答えを出した」ことはあります。
幼いころ、「怒られないこと」「賢い子」こそが答えだと信じ、そのように振舞っていました。
いい子でいられなかった中学校の頃、「実はやればできるやつ」を一生懸命やっていました。
高校生活では、「1番=医学部」だと思い、医学部を目指し、やがて意味を感じなくなりグレました。
新卒で入社した会社では、「誰よりも稼ぐやつ」を目指し、一部上場のコンサルティング会社で史上最年少記録を樹立しながら稼ぎました。
それに意味を感じなくなり、「より頭がいい人」を目指して戦略コンサルタントに転職しました。
そんな僕は、幼いころから「アンパンマンのマーチ」が頭から鳴りやんだことはありません。
・何のために生まれて
・何をして生きるのか
ただ、最近徐々にわかりつつあることがあります。
それは、「幸せを定義した時点で、幸せではなくなる」ということ。
「お金持ちになりたい」
→世界で1番になったら満足できる?どうせ2番の人に恐怖するんやろ?
学生時代より圧倒的にお金持ちになった今、本当に幸せか?
「地位・名声が欲しい」
→自分の内面がわからない人に「スゴイ」とハードルをあげられて、美談を捏造されて、本当にありのままの自分でいられますか?
幸せに基準を設けない。
自分がいることで幸せを感じてくれる人があれば、それでいいのではないか。
自分の仕事で、だれかを幸せにできる、それだけでいいのではないか。
自分のたった一言で、何か緊張がほぐれる人がいるだけでいいのではないか。
究極はそんな感じなのかな、と「何かに基準を設けるプロ」であるコンサルタントが言ってみる。
Daiki.Y