昭和の電話事情 | 台場一丁目商店街プロデューサー久保浩の    昭和ダイアリー

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レトロブームの仕掛け人久保浩が「昭和」の時代の古き良き、暖かな日本人の心を伝えてまいります。

「昭和の電話事情」

 

今や老若男女、国民皆携帯電話の時代ですが、我々世代が子供の頃

 

はお金持ちの家しか電話はありませんでした。


昭和レトロ製作委員会         台場一丁目商店街自治会長     久保浩の平成と闘う日々

 

昭和30年頃は電話加入権が6万円していたそうですが、大卒初任給が

 

1万円以下の時代ですから、今の価値に照らせば100万円以上していた

んだと思います。


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もっぱら庶民は「呼び出し電話」でご近所のお世話になっていました。

 

学校のクラス名簿には住所と共に電話番号が記載されていましたが、

昭和40年代でも3割程度の家庭には(呼)マーク(呼び出し電話のこと)

が付いていました。
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地域でも数少ない電話が引いてあった家庭の玄関には「防犯連絡所」

 

のマークがよく付いています。事故や火事などが発生した際には、その

マークの付いた家庭に飛び込めば緊急電話が掛けられる、という印です。

今では考えられないことですが。
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今の小さな子供たちは「ダイヤルを回す」という

 

概念が無く、数字の部分を押すだけの子が多く

なりました。そのうちダイヤルを回せる世代と呼

ばれるかもしれませんね。

 

 

 

 

ご一読ありがとうございました!

 

 

 

 


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