当時のことを思い出すと
苦しくて涙がでます
でも息子と過ごした最後の瞬間まで
忘れないように
記しておくべきだと思いました

辛い気持ちになる方はどうぞ
スルーしてくださいね

ICUに入る前に
主治医から
「家を出た時の息子さんとは変わってしまっていますから、ショックを受けるかもしれません」と言われました

息子に会った瞬間
夫と二人
息を呑み
膝から崩れ落ちました

口にはそう管の管
沢山の点滴のチューブ
色んな機械に囲まれた
息子

涙が次から次へと溢れ出て
「◯ちゃん、頑張って」って
言ってしまいました

もう既にすごく頑張って
必死に生きようとしている息子に
もっと頑張れって…
言ってしまいました

手を握ると
少し冷たかった…
運ばれてきた時
体温が少し低かったそうです

息子の心臓が再び動き出した事は
奇跡なんだそう
私達が来るまで
頑張ってくれたのかもしれないって
そう思いました

暫くして
主治医から再び話がありました
積極的な延命治療をするかどうか…

主治医からは
「意識が戻る事はほぼ100%ない」
と言われました

家族が望めば
除細動器や強い薬を使う
延命治療をするが
それは本人には
苦しい治療となる
その時乗り越えても
再び大きな山がやってくる
という内容でした

主治医は
ゆっくりと言葉を慎重に選びながら
夫と私、それぞれに
どう思うか
どうしたいか
聞いてくださり
私達に考える時間を与えながら
話してくださいました

私達は
積極的な延命治療はしない
と、決めました
それは…

息子が小6の秋
ある出来事があって
その際
家族でどう生きたいか
話し合う機会がありました

その時息子は
こう言いました
「人より短い人生だとしても
野球やスポーツ
友達と遊びに行ったり
好きな事、やりたい事を
目一杯楽しむ人生が良い
やりたい事が出来ない人生は
それは僕の人生じゃない」って

ただ機械につながれて
生かされている人生は
息子の望む人生じゃない

そう私達は思ったので
積極的な延命治療は
望まない事を伝えました

後は息子の生きる力を信じて祈る事しかできませんでした

少し救われたのは
息子の表情が
家で寝ている時と同じ
可愛い寝顔だったんですよ
スヤスヤ寝てるみたいな

だからいつか
目が覚めるんじゃないか
このままずっと
自力で心臓は動いてくれるんじゃないかって
そう思ってました

ですが私達が想像していたより早く
山が来て
それを乗り越えることは
出来ませんでした

夜明け前
心拍が下がってきて
1月30日午前4時19分
息を引き取りました

まだ13歳7ヶ月
短すぎる人生ですが
沢山の幸せを与えてくれました
沢山学びました

神様に
『再び親子になれるけど
やっぱり13年7ヶ月しか
一緒に居られない』って
言われても
私はまた息子の母になりたいです

よく頑張ったね
ありがとうね

長くなりましたが
ここまでお読みくださり
ありがとうございます