新しい年に対して、何がおめでたいのだろう。
年が変わったとはいえ、性格が変わるわけでもなく、持病の病気やケガが一瞬にして治るわけでもない。
あくまでも日常の延長線上である。むしろここからが本気出して向き合って行かない。
2018年は、一日一日を悔いのないように生きたい。
当たり前だったものが、当たり前でなくなった。
その時、人はどうなるのだろう。試されている。
また私は、病院の門をくぐった。今のままだと耐えられる自信がない。
その時、人はどうなるのだろう。試されている。
また私は、病院の門をくぐった。今のままだと耐えられる自信がない。
9月下旬から、表面上は真人間になっている。
これがいつ、ダークサイドに堕ちるか、日々ドキドキしながら10月を生きた。
なんとか、である。
こんな風に生きるのは、18歳の春か夏か秋か、それ以来だ。
11月も、なんとか生きる。生きられれば。
これがいつ、ダークサイドに堕ちるか、日々ドキドキしながら10月を生きた。
なんとか、である。
こんな風に生きるのは、18歳の春か夏か秋か、それ以来だ。
11月も、なんとか生きる。生きられれば。
3月末から続いていた「突貫工事」も、いったん区切りを迎えた。
そうか、まずは自分の足で歩いてみろと。
もっというと、十年以上続いていた「日常」か ら解き放たれ、何もなくなった。
そうか、まずは自分の体で生きてみろと。
今月は、できるだけ穏やかに過ごしていきたい。
そうか、まずはどうなるか知ってみろと。
そうか、まずは自分の足で歩いてみろと。
もっというと、十年以上続いていた「日常」か ら解き放たれ、何もなくなった。
そうか、まずは自分の体で生きてみろと。
今月は、できるだけ穏やかに過ごしていきたい。
そうか、まずはどうなるか知ってみろと。
では、ゴールがどこなのかと言われても、正直よくわからない。
ゴールには近づいている、とは思うのだが。
ゴール直前で梯子を外されるドッキリが待ってるんじゃないだろなと、疑心暗鬼。
迷いの森に迷いこんで、もうすぐ半年。
ゴールには近づいている、とは思うのだが。
ゴール直前で梯子を外されるドッキリが待ってるんじゃないだろなと、疑心暗鬼。
迷いの森に迷いこんで、もうすぐ半年。
非日常は非日常であるからよいのであって、非日常が日常になってはいけないのである。それは既に非日常ではない。
非日常はきっと、色鮮やかに心の中に残る。都合よく色づけもされる。
そんな非日常を生きるために、色のない日常を生きなければならない。
日常とは、色のない世界。あるとすれば限りなく淀んだ色である。
非日常はきっと、色鮮やかに心の中に残る。都合よく色づけもされる。
そんな非日常を生きるために、色のない日常を生きなければならない。
日常とは、色のない世界。あるとすれば限りなく淀んだ色である。
つまり2017年も半分が終わったということ。
この半年どうだった?と聞かれても、3月のあの日を境に、生き方すら変わってしまった。おそらく人間未満の何かの生き物。
大体こんな感じなんだと、ようやく見えては来たが。半ば諦めの境地。
これがいつまで続くのだろう。いつになったら、人間に戻れるのだろう。
この半年どうだった?と聞かれても、3月のあの日を境に、生き方すら変わってしまった。おそらく人間未満の何かの生き物。
大体こんな感じなんだと、ようやく見えては来たが。半ば諦めの境地。
これがいつまで続くのだろう。いつになったら、人間に戻れるのだろう。
迷いの森からは、まだ脱出できなさそうだ。
光は見えそうで見えない。
光は見えそうで見えない。
新たな迷いの森に迷いこみ、約1ヶ月。
この道でいいのか、まだ迷っている。
ある人に言わせるなら、半年で抜けられるらしいが。
それでも、半年は迷い続けなきゃいけないのかと。
それまで(人間的に)生きてるかわかりません。
この道でいいのか、まだ迷っている。
ある人に言わせるなら、半年で抜けられるらしいが。
それでも、半年は迷い続けなきゃいけないのかと。
それまで(人間的に)生きてるかわかりません。
もう何が正しくて、何が間違っているか、今はわからない。