過日、所用のため東京・新宿を訪れた。
用を足すには早く着きすぎたため、なにか暇をつぶす遣り口はないかと思案していると、昔、何かの記事で見た、ある碑のことを思い出した。
携帯電話で調べてみると、その碑は新宿から都営地下鉄で二駅、所要時間にして5分ほどの比較的近い場所にあることが分かった。
交通費は惜しいが、喫茶店に入ってコーヒーの一杯でも頼むよりも安いだろうと思い、都営新宿線の電車に乗った。
揺られること5分。降り立った駅は曙橋駅。
初めて降りる駅だ。
A2出口から地上に出て、携帯電話の地図を頼りに右手に曲がると、広場のような空間が見えてきた。その広場を横断すると、「あけぼのばし通り」と書かれた、昔ながらの商店街のアーチが見えた。
この通りは通称「フジテレビ通り」と呼ばれていたそうだ。
そう、このミニ・トリップの目的地は、旧フジテレビ本社の跡地である。
「フジテレビ通り」を、コクヨの旧ロゴの看板が掲げられている文具店などを横目に見ながら100メートルほど歩くと、その碑は唐突に現れる。
「左 フジテレビ」
「右 あけぼの橋地下鉄驛」
おお、これが昔、何かの記事で見た旧フジテレビの案内碑だ!
1997年まで(解体完了は1998年)フジテレビの本社屋がそこにあったことを示す唯一の証拠が目の前に現れたのだ。
商店街の中で、その景色に溶け込んでいる、小さな石碑の写真を一生懸命撮影しているスーツ姿(訳あってスーツ姿だったのです)の大柄な男は、商店街で夕飯の材料を拵える曙橋レディーたちの目には、あるいは学校帰りの女学生たちの目には異様な景色に映ったかもしれないが、そんなことは気にせず、携帯電話で至る方向から写真を撮影した。
ああ、ここに昭和の、一番輝いていた時代の(失礼)フジテレビがあったのか。ここから「ドリフ大爆笑」や「夜のヒットスタジオ」や、ウーン、あとは何だろう……まあとにかく、様々な昭和の時代を彩った番組たちが放送されていたのか。昭和テレビマニアの私からすると、まさに聖地。
ところで、いま目の前にあるのはあくまで「案内碑」。本社は案内碑の示す「左」にある。
「左」に進むとそこには「念仏坂」なる、ありがたい名前の坂(というより階段)があり、それを上ると旧フジテレビ社屋跡(といっても何も残っていないが)がある。
何も残っていないとは知っていても、せっかくここまで来て、上らないという選択肢はもはや無かった。
坂(というより階段)を上ると、そこには現代的な高層マンションが我が物顔で建っている。
「ドリフ大爆笑」で、腹がよじれるほど笑った子供たちの姿も、「夜のヒットスタジオ」でスタジオを凍らせたタイマーズの姿もそこには無い。紫色のバス型中継車の姿も、「8」の字のマークの姿もそこには無い。
兵どもが夢の跡。
夕焼けに照らされながら新宿の雑踏へと身を投げた。
Fin.