3/10(日)ポッカリと時間が空いた。
なにもすることがない。
「今日はどうしようかな~」
なんてカミさんと話をしていたら
「開(かい)は?」
「えっ、かい」
ああそうか、開というのは人吉市の青井阿蘇神社隣にある蕎麦屋さん。近くの蕎麦屋さんが休業したままなので、蕎麦を食べに行くことがないのは事実だけど、まさか人吉の蕎麦屋さんは思いつかなかった。「開」で蕎麦を食べて人吉城跡がどうなっているか、見てくるのもありだ。
その気になった。
そうして八代に向かって車を走らせているとき、ふと思いついた。
そうだ、宮崎八郎戦没の碑を見に行こう。
ついこの間、職場の歴史好きの同僚から「宮崎八郎の碑に行ってきましたよ」と聞いたばかりである。宮崎八郎は、肥後人でありながら西南の役において薩軍に与した人物。先日、草枕交流館において学芸員さんからも宮崎八郎の話を聞いたばかり、宮崎八郎は武人というより文人というべき人であったのだが、官軍に戦いを挑みあっけなくその命を落とした。宮崎八郎の弟が宮崎滔天。ま、この話は長くなるので、ここらで割愛するとして・・・。
「宮崎八郎戦没の碑」があるのは、球磨川の萩原堤(はぎわらづつみ)。
これについては、以下を参照していただきたい。
萩原堤 | 熊本県総合博物館ネットワーク・ポータルサイト (kumamoto-museum.net)
さらに宮崎八郎戦没の碑についても・・・。
宮崎八郎戦没の碑 | 熊本県総合博物館ネットワーク・ポータルサイト (kumamoto-museum.net)
そしてまたこの場所にもう一つ、句碑がある。放浪の俳人・種田山頭火句碑である。
こうして球磨川を八代から人吉に向けて遡ることにしたのだ。(続く)