2/16(金)天気がよくなったので、夕散歩に出かけようか。

散歩は週2くらいで程よい運動になる。

 

実は、火曜日に夕散歩したとき、左膝に少し痛みを感じた。散歩コースのうち竜灯公園グランドを歩くときを除けば、ほとんどがコンクリートの道。なので、ちょっとした拍子にひねったりすると、ひざを傷めるおそれがある。歩いた後で違和感が残り、就寝時にもまだその違和感があった。

 

仮にそのまま痛みが残っているとしたら、散歩を控えようと思っていると、そうはならなかった。翌朝、目が覚めたとき、痛みが消えていた。だけど、もう少し様子を見たほうがいいかなと、散歩をやめにした。

 

そして借りている『ラプラスの魔女』を観ることにした。

 

 

東野圭吾原作映画は、ガリレオシリーズを除けば、ほとんど見たことがない。そもそも東野圭吾の小説をあまり読んでないので、映画化されても知らなかった。今回はたまたま原作を読んだから、映画を観ることにした。

 

 

仕事を終えて帰宅後、すぐにビールを飲みながら見始める。

 

 

この頃、映像化されるときの原作と脚本との関係が取りざたされている。テレビのみならず、映画であっても同じようなことがあるだろう。時間の制約の中で一つの形をつくるうえで、避けられないことがあるだろう。そしてやっぱり脚本家にはというか、映画製作者にはそれなりの主張というのがあるだろう。映画を観ていて、これは原作以上の面白さだと思うことがある反面、あ~これはやり過ぎじゃないのかと思うこともある。基本的に原作は原作として、テレビや映画はやはり自首独立した作品だと理解したほうが良いのではないだろうか。ま、それにしても行き過ぎとか、やり過ぎとか、目に余ることがあるのかもしれない。