2/11(日)うき山の会定例登山は、福岡県の四王寺山(しおうじやま)。

 

うき山の会への参加は久しぶり。いつ以来になるか、記憶にない。

半年以上、間が空いたかな。一時は、もう退会しようと思っていたくらいだ。

ところが行き先が四王寺山であるから、行ってみたいと思った。

なぜそう思ったのか。

前に書いたように“とん”さんの四王寺山レポートのブログを見ているからである。

それに大宰府に関わりのある歴史ある山だからでもある。

 

 

以下は、ネット検索して得た知識である。

四王寺山(しおうじやま)―大宰府とともに歩んだ歴史の里山―

太宰府市のすぐ北になだらかに広がる四王寺山は、最高点のある大城山(410m)を中心に岩屋山・水瓶山・大原山と呼ばれる4つの山から構成され、総称として四王寺山と呼ばれる。白村江の戦いの翌年である664年、大城山の山頂に古代山城である大野城が設置され、中世には岩屋山の中腹に岩屋城が築かれ、戦国時代末期の戦いの舞台にもなった歴史ある里山。

 

 

岩屋城「本丸」址(いわやじょうあと)と高橋紹運(たかはしじょううん)

岩屋城は戦国時代の16世紀半ば、宝満城の支城として、豊後大友氏の武将高橋鑑種(たかはしあきたね)によって築かれたが、天正12(1584)年、主家の大友宗麟に背き、城を追われてしまった。代わって吉弘鎮理(よしひろしげまさ)が城主になり、後に高橋家の名籍を継いで高橋紹雲となる。紹雲は、天正14(1586)年、九州制覇を目指す島津軍5万の大軍を763人で迎え撃ち、16日の激戦で、豊臣秀吉軍の到来を待たずに玉砕し落城したといわれている。

 

 

以上のように九州の歴史を語るとすれば、大宰府は欠かせない。これまでほとんど興味を示さずに来てしまったけれど、これからのとっかかりにしたい。(続く)