2/22(水) 天草。

 

 

海岸線をぐるりと一回りするのもいよいよラスト。

ラストに立ち寄ったのは富岡城。

「えっ、天草に城があるの?」

と驚かれる方もあるだろう。

 

 

詳しいことは知らないけれど、天草は元はキリシタン大名・小西行長の領地で、関ヶ原の戦いの後に寺沢広高が入部、次代の堅高の時代まで島原同様の圧政とキリシタン弾圧が行われた。

以上はウィキペディアより抜粋だが、その頃に築かれた城のようである。

 

 

さて、富岡城跡を歩いてみると、ここにも誰一人としていない。資料館などは休館のようだ。それでも城跡を歩き回るのに何の規制もない。むしろひとりで満喫できたと言っていい。

 

 

しかしながら天草四郎の乱というか、島原の乱というか、江戸時代の初期、キリシタン弾圧に対して民衆が蜂起した。幕府の威信にかけてこれを鎮圧する。天草の民は、為政者による圧政といってもいいような苛酷な暮らしを強いられた歴史を背負っているのだなぁ。