前回、“加勢川を旅する”を江津湖で終えたとき、どうしても気になって、もう一度訪ねてみたいところがあった。
それは御船手(おふなて)。
まさしく江戸時代に船荷を積み下ろししていた船着き場である。緑川と加勢川の中州、加勢川を川尻3丁目から眺めたその対岸にある。
8/21(土)午前10時頃家を出た。国道3号線を熊本市に向け車を走らせる。緑川に架かる緑川橋を渡ってすぐに左折すると、川尻方面に向かう県道50号線。そして加勢川に架かる新町橋の手前に停車。西楽寺さんの駐車スペースに車を停めさせてもらう。
ここは熊本市南区川尻6丁目。まずは、中州から加勢川を眺める。こちらも県道沿いに家屋が建ち並ぶ住宅地である。
写真を撮ったところで加勢川の下流にある御船手に向かうと、七所神社があり、その駐車場に車をとめた。
加瀬川の土手に上がると、JRと九州新幹線の鉄橋があり、石組の船着場がいくつか並んでいる。現在使用されているというよりもかつての船着き場を再現しているといったほうが適切か。
御船手は加瀬川の流れが緩やかな側であり、河川敷に草が茂っている。御船手川は荷の積み下ろしをするのに都合がよかったのだろう。
船着場のある河川敷に下りる道があったが、草ぼうぼうなのでやめた。ちょうど新幹線が鉄橋を渡って行った。防音壁に車体がすっぽりと隠れており、最上部の電線に触れる部分しか見えない。ほとんど音もしない。住宅地を通るときにはスピードを上げず、騒音にならないよう気をつけて走っている。
せっかく御船手に来たついでに七所神社に参拝した。
ちなみにだけど、古木信子さんの脚本演出による『御船手物語』朗読と和楽器演奏を川尻工芸館にて視聴したことがある。そのことが御船手にこだわった理由の一つである。(続く)
P.S.
以下は、「しらぬいのがね」ブログ、2018-03-29 17:00 古木信子「御船手物語」よりコピー、貼り付けしたもの。
ネットでその当時の川尻の御船手について調べてみると…。加勢川の左岸は、富合町杉島地区で、江戸時代は陸の孤島であった。ここは杉島御船手とよばれ、江戸時代には藩船の乗組員や水夫たちが多く住んでおり、船頭町が存在していた。
この杉島と川尻のあいだは、上流から中之島渡し(大慈寺渡し)、杉島渡し、御船手渡しの3つの船渡しで結ばれ、参勤交代のときには、藩主の御座船である波奈之丸(なみなしまる)や、泰宝丸なども入港していた。
御船手には早船を含めて150艘近くの船があり、江湖(川の入り江)にはたくさんの軍船も見られた。藩船の乗組員たちが外城町への買い物に利用していたのがこの御船手渡しであったが、明治以降しだいに衰退していった。
昭和になり、ほかの渡しが廃止されていくなか、外城は買い物で行き交う人びとで賑わっていたが、この御船手渡しも昭和36年に廃止された。当時の石畳は、現在もその姿をとどめており、石畳から対岸を望むことができる。なお、平成24年には、国史跡に指定されている。











