野田知佑「日本の川を旅する」カヌー単独行
「筑後川」
日田盆地、筑紫平野を横切って有明海に注ぐ
ここは野田知佑の本から冒頭の記述を引用しよう。
日本列島では大河は北部に集中している。長さ200km、300kmといった河はみな北日本にあり、九州では大きな川でせいぜい100km前後の長さだ。九州一の川、筑後川は公式全長143kmとなっているが、地元で筑後川と呼ばれているのはそのうちの下流65kmだ。この川は出世魚のように名前を何度も変えながら大きくなって海に出る。熊本の阿蘇山北部を発した水が志賀瀬川→杖立川→大山川となり、日田盆地で大分県の九重から流れてくる玖珠川と合流して三隈川となり、夜明ダムの下からようやく筑後川となる。
へぇ~、そうだったのか。
熊本の杖立川、大分の九重から流れる水が合流して筑後川になるのか。
知らなかった。
ここまで読んだところで、筑後川はなるほど壮大なスケールを誇る大河だと実感できる。ところが、日本の北部を流れる川は200km、300kmあるのだ。九州人にとってこれはもう想像を絶する。身近に感じられる川と比較してみれば、かすかに実感できる。
あ、いや、ここは筑後川についてなにかを書き記すところだった。
『日田』の部分を読めば、2、3回日田の街を歩いたことがあるので、記述された内容がよくわかると同時に「ああ、そうだったのか」と胸が痛む。
そこに何が記されているのかといえば、
「昭和28年の水害」があって、それから下筌、松原の連続ダム建設が加速され、二つの巨大なダム湖ができた。小京都「水郷日田」はありふれた山間の町になってしまったのである。三隈川の澄んだ水がなくなってしまったからである。なんとも悲しい気持ちになる。治水と澄みきった水を湛える川、この2つをどちらも満たすことはできないのか。
どうしてもこの問題に突き当たる。
『原鶴』編は面白かった。鯉、鮎などの手掴み漁の話なのだけど、おおらかでよい。やっぱり身近な地域だけに親しみがわく。
長くなったので、これでやめるが、オシマイにこの記述を引用しよう
この川が大河と呼ばれるのは、数字の上からではなく、流域に抱える人口の多さ(流域人口110万)、人々にとっての川の存在度を尺度にしているのであろう。




