これまでただの一冊も田辺聖子の本を読んだことがなかった。名前と顔くらいは知っている。お婆さんのような大阪のおばちゃん。親しみやすいというか、馴れ馴れしいというか、権威などとは反対側にいる女性という印象。なめていたといっては失礼極まるのだが、どのような本を書く人なのか全くもって無知だった。
ではなぜ、今頃になって田辺聖子を読もうと思ったのか。きっかけはいつでもひょんなことから始まるが、少し前、仕事帰りにクロス宇土21内のブック・オフに立ち寄り、4冊の文庫本を買ったことにある。その文庫本の一冊から田辺聖子を紹介する紙切れなどといっては失礼ながら、折り畳み式のパンフレットのようなものがポロリと出てきた。
何気なく見てみると、デザイナーの乃里子を主人公とした『言い寄る』『私的生活』『苺をつぶしながら』の三部作が新装版として復刊されたというのである。へぇ~、どんな本だろうか。これがきっかけだった。
それで週1の恒例の買い出しのついでに宇城シティーモール内TSUTAYA書店で田辺聖子を探してみると、見るも哀れというか、4、5冊のエッセイ集が並べてあるのみ。文庫本の裏表紙に記されている田辺聖子プロフィールを眺めると、芥川賞などの各種の受賞作品が紹介されている。残念ながら、その中の一冊もこのTSUTAYA書店に置いてない。
それでも田辺聖子がどのような位置を占める作家なのかを、ここで知った。む、む、これは。目を開かせられるというか、こういうときは瞠目すべきというんじゃないかなどとどうでもいいことを思いながら、田辺聖子を読みたいと切に望んだのである。これも切望したのほうがわかりやすいな。
いやはや、ともかくとして熊本市内で会議かなんかあるときにTSUTAYA下通店に立ち寄り、田辺聖子をゲットしよう。そう決めたのである。(続く)


