司馬遼太郎「翔ぶが如く」(九)の「熊本を去る」そして「過ぎゆく春」。
西南戦争における薩軍の敗走が続く。田原坂の戦闘を始めとして北から攻めてくる政府軍に対して薩軍の抵抗は強かった。ところが南から攻める政府軍に対する薩軍の抵抗はあっけないくらいに弱かった。ほとんどなすすべもなく薩軍は熊本から木山へと敗走を始めた。
木山は熊本から10キロくらいしか離れていないため、それからさらに矢部郷浜町まで退却した。熊本県内での出来事だから、地名が出てくれば「ああ、あそこか」と手に取るようにわかる。事実が羅列されているからといってどうということはない。ああ、そうだったのか。
さて西郷は西南戦争の間、何を考えていたのか。元々口数が少なく、書き記したものを残していないからわからない。ただ運命に身を委ねるばかりで自らはなにも行動を起こさない。
西郷は死に場所を求めていた。しかし勝手に死ぬことは許されない。
「もうここらでよかろかい」
と口にし、ようやく自死できたのは故郷、鹿児島の城山だった。
さわさわと冬の雨「西郷どん」没す/がね


