「おくのほそ道」第12章 

心もとなき日数重なるままに、白の関にかかりて旅心定まりぬ。「いかで都へ」と便り求めしもことわりなり。中にもこの関は三関の一にして、風騒の人、心をとどむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢なほあわれなり。卯の花の白妙に、茨の花の咲き添ひて、雪にも越ゆる心地ぞする。古人冠を正し衣装を改めしことなど、清輔の筆にもとどめ置かれしとぞ。

 

卯の花をかざしに関の晴れ着かな/曾良

(卯の花を髪に挿し、晴れ着の代わりにして関を超えよう。季語―卯の花 夏)

 

卯の花(うつぎ)

 

「おくのほそ道」を読み込んでいなくて理解が浅いからかもしれないが、がねが最も好きなくだりである。

 

どこが好きかと問われれば、紅葉、青葉、卯の花、茨、雪と鮮やかな色彩が次々に現れて、それらが目に浮かぶようであり、しかも名調子。

 

「ま、表面的なところだね」

と言われてしまえば、まさにその通りだけど、いやいやこれほどストレートに色彩が浮かぶ文章にめったなことで御目にかかれる物ではない。

 

うき山の会のきよみさんから

「がねさんは色に反応するね」

と言われたことがある。

そうなのだ。五感のうち視力は乏しいけれど、色に対する反応が顕著なのかもしれないと、自覚した次第である。

 

茨(野ばら)

 

の花がうつぎであり、茨が野ばらであると、それぞれの花を実際に認識できるようになったのはつい最近のことである。

 

やっぱり実物を、そして現地を目の当たりにしてこその感動だと思うが、芭蕉と曾良が白川の関を訪ねたとき、すでに関はなく、ほとんどイメージの世界で遊んだのだそうである。知識や教養のない者は実物を見るしかないではないか。

 

 

ペタしてね