映画評論家一覧に掲載されている映画評論家の中から「あ、この人知ってる」と思った人の名前を以下に記す。
植草甚一・荻昌弘・川本三郎・北川れい子・小森和子(こもりのおばちゃま)・今野雄二・佐藤忠男・芝山幹郎・品田雄吉・白井佳夫・中野翠・蓮実重彦・浜村淳・双葉十三郎・山根貞男・そして淀川長治。
これらの方々の他にも映画評論家はたくさんおられる。がねの学生時代は猫も杓子も映画評論家ではないかというくらいに映画談議に花を咲かせていた。映画を数多く見ればもしかしたら誰でも映画評論家になれるのではないかと錯覚させるほどにそういう人は多かった。
映画を観ることは誰でもできる。従って、映画を観た感想も誰でも言える。だからといって勿論のこと誰もが映画評論家になれるわけではない。最初に上げた映画評論家の顔ぶれを見ると優れた文筆家が多い。映画を題材として文筆を振るっているが、ジャズやクラシック音楽評論や文芸評論だってなんだってできるような人ばかりなのだ。テレビで個性を発揮した人もいるが、それも特異なキャラクターがなければ大衆の心を捉えることはできない。
これは前置きで、何を書こうとしているのかといえば、荻昌弘のことを書こうとしている。
ある年に公開された映画で何が良かったかというランク付けをする企画があった。仮に10人の映画評論家がそれぞれの好みもあろうし、それぞれが1位の映画から10位まで順位をつける。10人がすべて一致するということはない。同じ映画を1位にあげたとしても、全員が一致するわけではない。10人のうち4人くらいが1位に上げるかもしれないが、1位から10位までになれば、それぞれにばらける。
結果として10人の映画評論家順位を総合して1位から10位までのランキング結果が出る。その結果は説得力を持つ。一読者として「なるほど」とうなずかざるを得ない。ところが1人の映画評論家と総合結果が1位から10位までピッタリ同じ人がいた。誰あろう、それが荻昌弘だった。
荻昌弘って何者なのかと思った。コンピューターのような頭脳の持ち主なのか。事の善し悪しは別にして、荻昌弘のことを思い出した。なぜそのようなことを思い出したのかは、また別の機会にブログに書くかもしれないが、今はそのときではない。
ちなみに、単に好き嫌いだけで言うと、がねが最も好きだったのは”こもりのおばちゃま”。
「おばちゃまね、・・・・・」


