飲んだくれてばかりで山に縁のなかった今日この頃であるが、今度の土日はスケジュールが空いている。寒波がやってきそうだけど、天気は悪くない。ここは一番、山に行くか。そう決めた。

 

木枯らしに吹かれながら野山を歩いてみよう。どこがいいだろう。今年は阿蘇五岳が地震の後は入山禁止になったため、南阿蘇外輪山を4、5回目歩いたけど、同じ場所を季節を変えて歩くのもいいんじゃないか。

 

 

もう花は咲いていないだろうが、枯草がどのようになっているか。バッタや蝶やトンボはいるかどうか。冬の野原を歩いてみよう。歩くと同時に自然観察をしてみよう。自然観察という程の知識も経験もないけれど、何かに気づくことがあるかもしれない。少なくとも前に来たときとどこがどう違うのかくらいは感知できるのではないか。そして何かを見つめることができるかもしれない。

 

これまでぼんやり見ていた景色からはっきりとした何かを見つめることができるかどうか。そういえば、何かを見つめるなんてことはかつてなかったんじゃないか。あなたを見つめていたい。いや、いや、美しい女性に見とれてはならない。自戒を込めて生きてきたではないか。

 

自然が相手であればいくら見つめたとしても支障はない。花を見つめるにしても、ただ咲いている花を美しいと思うのみで、葉や茎や実を見つめたことがない。そうだ何をどのように見つめるかがこれからのテーマだ。心を見つめるは永遠に無理そうだけど・・・。

 

永遠を凝視せむとや山眠る

 

ペタしてね