熊本地震の最中に進められたことがある。

大学院中退という不名誉な結末を迎えたジローが、仕事探しもしないで家にごろごろしていて、このままではニートになってしまうのではないか、引きこもりになってしまうのではないか、と心配した。本人も自分でもどうしたものかと思い迷っていたのだろう。親としてはともかくなんでもいいから社会人としての第一歩を踏み出してもらいたいと思っていた。


ジローのいとこになるドクターYOに「ジローを医院で雇ってもらえないか」と相談したところ、「すぐには無理。離島に行けば引く手あまただ」という。


ドクターYOは喜界島、石垣島、北海道の旭川の病院をローテーションのように回っている。ドクター・コトーの舞台になったような地域である。


そこで経験を積み、自分で稼げるだけの技量を身につければ雇わないでもない。そのような成り行きになった。





そこで喜界島の徳洲会病院に打診してみると「すぐ来てもらいたい」との返事だった。


しかしながら、そのとき熊本は地震で最も大変な時期で、家族そろって道の駅で車中泊をしていた。ある程度先の見通しが立ってからにしたいと先延ばしにしたが、地震が治まりを見せ始めた5/11(水)、5/12(木)にドクターYOが喜界島に行くことになっていて、そのとき同行させてもらうことになった。


面接をして本人の希望や考えを聞き、病院側としては待遇面などの説明があり、夜は早くも歓迎会が予定されていた。


至れり尽くせりの対応にジローとしては気分が悪かろうはずもなく、喜界島へ行く気持ちを固めるに至った。喜界島から帰って数日後には、徳洲会本部からジローを採用する旨の通知があり、6月1日から勤務開始と決まった。


カミさんは「ジローがいなくなればさびしくなる」などと感傷的になっていたが、親の務めは子供が独り立ちできるように支援することである。「何を言っているんだか、いい加減にしなさい」と男親はそう思うのであった。(続く)