4/16(土)朝を迎えた。避難していた蕉夢苑から自宅に戻り、シャワーを浴び、新聞テレビなどで情報収集をした。その後、宇城シティーモールに買い出しに出かけた。コンビニに食料はなかった。水、茶のペットボトル、インスタント食品を購入して、できるだけ早く道の駅「不知火」駐車場に避難して車中泊すると決めた。
車中泊といえば、山に行く人にとっては珍しいことではなく、大阪の”みの”さんなどは連続して車中泊と登山を続けていた。
「我々もキャンプのつもりで楽しもうじゃないか。キャンプだ。キャンプだ」。
おどけてそう言うと、カミさんが
「楽しくなんかないよ」とつぶやいた。
駐車スペースを確保し、日が暮れる前に夕飯にした。駐車場を隔てる草地に木製のテーブル、ベンチがあり、我々より先に夕飯を済ませた家族の後に我々がテーブルを使用した。その日はカップ麺のみだった。湯を入れた水筒を持参し、カップ麺に湯を注ぐ。すると、「おにぎりを食べてください」と差し入れを受けた。「カップ麺だけでは可哀相だ」と思われたのだろうか。かつて不知火町松合和田地区の民生委員をしておられた人からだった。有難く、おにぎりを一人一個ずついただいた。このおにぎりが腹持ちをよくしてくれて助かった。後で聞いた話によると、息子さんが博多在住で博多から食料品を車に積んで駆けつけてくれたのだという。食料品を届けてすぐに博多に戻られたのだ。
午後7時には自動車の2列目のシートを倒してフラットになった平面に布団を敷き、足を延ばして横になると、眠りに落ちた。思い返せば、2回目のドッカーンが来る前から2日間寝ていなかったのだ。ここで初めて熟睡した。その間、震度4、震度3の余震が続いたのだけど、全く気づかず目が覚めず、30分寝たのかなと思うと8時間眠った。(続く)

