月に一度の皮膚科受診の際、医院の待合室で読む文庫本について書いたが、遠藤周作「海と毒薬」が先月の受診時のまま読みかけになっている。
伊坂幸太郎「オーデュボンの祈り」を読み終えたばかりで、医院待合室にはレイモンド・チャンドラー著村上春樹訳「ロング・グッドバイ」を持参する。
ならば車のケース内から「海と毒薬」を取り出して、オシマイまで読んでしまおう。
半分くらいまで読んで、遠藤周作の筆力というのは半端ないと思った。ぐいぐいと本に引きずり込まれる。これほど文章のうまい人がいるのかと驚きだった。文章力があるからといって、それが何だという向きもあると思うが、要するに遠藤周作という小説家との相性がいいというのか、好きなのだと思う。
なぜこれまで読まなかったのだろう。
前置きばかりが長くなったが、「海と毒薬」の真ん中くらいから、勤務する看護婦、医学生、午後三時と読み進めるうちに息苦しくなってきた。その事件の克明な描写が始まるのである。
その事件に関わった者たちを糾弾するためにこの小説が書かれたものではない。過酷な状況に置かれた者がどのような行動をとるのか。他人ごとではないのだ。法制度や世間的な罪と罰、心の問題としての罪と罰、そのようなことを背景に持つ人間の様を描いている。
半分まで読んで、オシマイまで読まなければよかったという気がしないではないが、それでは意味がない。

