あの頃は


「ハッ!」

といっても和田アッコじゃないよ。



薩摩街道歴史ふれあいウォークに参加して水俣を歩いた。水俣といえば、水俣病を避けることができない。


現在でも熊本県が実施している水俣病認定において認定されないのは不当だとして裁判が起こされる。熊本県、国、裁判所がそれぞれに微妙に立場と見解が異なり、結論が二転三転することがあり、なかなか収束しない。専門的なことは分からないから、それに対してどうこう言うつもりはない。


黄色い花


かつて同じことを書いたような気もするが、水俣病が大きい社会問題になったのは学生の頃だった。石牟礼道子の「苦界浄土」がベストセラーになった。悲惨な状況にあるはずの水俣病患者家族の姿が、情愛に満ちたメルヘンのように描かれていて、深く胸にしみた。土本典昭の映画「水俣」の上映会に出かけたときも、「苦界浄土」と同じような視点で撮影された映像が胸にしみた。

感動した。

どこにあるのかわからないような自分自身の情愛や優しさを、本や映画が引き出してくれるような気がした。

学内において開催された渡辺京二のシンポジウムにも参加した。だからといって水俣病闘争に積極的に参加したわけではない。目の前で起きていることはいったいどういうことなのかを知りたいという欲求を満たすだけであった。

同級生の森山は水俣病患者支援活動にのめり込み、とうとう1単位も得ることなく、いつしか退学ということになったのだが、そのとき知り合った人々との交流が現在に至るまで続いているのであるから、無論のこと後悔などあるはずがない。


石牟礼道子(渡辺京二著)についてはこちらから
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