朗唱の会の準備をしてくれたのは、しのぶたけさん、ホタクボンヌさん夫妻。


ほとんど同時に「九品寺食堂」に到着し、予定よりも早かったので、宴会が始まる前に朗唱の会が行われた。


店内


はじめにしのぶたけさんが徒然草の一説をとり上げた。

(ドラゴンボールの亀仙人ではなく)久米の仙人が川で洗い物をしている女性の太腿を見て、神通力を失ったという話。

その後、久米仙人がどうなったか、など解説があって、興味深く、かつ楽しかった。


雨読さんは日野原重明の著書から一部を抜粋して、ある神父さんの詩(ヘルマン・ホイヴェルス著「人生の秋に」春秋社)をとりあげた。

宗教的な詩であり、ましてやキリスト教に背景を持つゆえに分からないことばかりだったが、分からないなりにいろいろと考えを述べることができた。この後、キリスト教の教えについては少し調べてみようかと思った。


ホタクボンヌさんは主催する朗読の会で発表したことがあるというりんごの木と一人の男の一生をとり上げた詩を披露してくれた。

「朗唱というのはいいものだ」というホタクボンヌさんの言葉が強く印象に残った。


sasimi
意思がま焼き


ホタクボンヌさんは朗唱の意味と価値を最も深く理解している人だと思った。ほとんど投げ出していたがねとしても、及ばずながら、何らかの形で関わりを持ちたいと思う。


その他にもいろいろと話は縦横無尽になされたのであるが、ひと段落したところで朗唱をお開きにして、後は、お楽しみの宴会になった。