11/4(火)球磨川べりから、車で人吉城址に移動し、人吉城歴史館「相良清兵衛屋敷」に入った。がねは2回目の見学になる。一般展示室は人吉城と相良氏について、特別展示室では明治・大正時代の人吉について展示されていた。
初めてのときは相良氏についての知識は皆無だったので“ふ~~ん”という程度の感想しか持ちえなかったが、2回目になればある程度の流れを受け入れることができた。知識として蓄えるには、さらに複数回足を運ばなければならないようだ。何しろ物覚えが悪すぎる。
相良清兵衛屋敷の地下室遺構を歴史館の人に案内してもらった。清兵衛はなぜ、この施設を作ったのか?雨読さんはいたく興味を惹かれてしまい、人吉にいる間中考え続け、もごもごと口にし続けていた。がねにはそのような粘着力がなく、地下室遺構の外に出れば終わり。もう興味は失せていた。
清兵衛門を通り抜けて相良神社内を歩いてから、グループ「縷々」第3回コンサートin人吉「朗読と邦楽の夕べ」会場、国宝青井阿蘇神社に移動した。
夕暮れ前の時間帯となり、薄闇に包まれる青井神社の茅葺屋根を眺め神社前の蓮池のほとりに佇み、ぼんやりと時間を過ごしたが、コンサート開始まで1時間ほどあり、人吉駅に向かって歩いた。
今では電車で駅に来ることはなくないので、久しぶりの駅周辺は整然と清潔に様変わりしていた。駅前にあったはずの食堂はもうなかった。食堂で球磨焼酎繊月をすすり飲んだのはいつのことだったか。カミさんの母の出身が人吉だった関係で、結婚披露宴や葬儀などで人吉に来ていたのは20年以上前のことになる。
辺りはすっかり夕闇に包まれ、ビルの明かりが街を照らした。居酒屋を数軒、目にしたが、食堂らしき店を見かけなかったので、夕食はパスすることになった。車で日帰りなので、居酒屋で一杯というわけにいかないのが残念。






