「個人主義の運命」などという硬い本をとり上げたため、テーマ「積読になった本」がかなり重い感じになってきたので、次は軽いものしようと思う。
それで再びフィッツジェラルドをとり上げる。
タイトルは「雨の朝パリに死す」。
この本のことも記憶にないので、ページをめくると短編集。
所持しているフィッツジェラルドは「華麗なるギャツビー」とこの「雨の朝パリに死す」の2冊しかないと思うが、そもそもは25才になってから東京暮らしを始めたがねが北区の区立図書館通いをしていたとき、フィッツジェラルドにはまった。
“小説なんぞは読まないぞ”と心に決めている頃のことで、いわば盗み読む感じで、そっと手にした本がフィッツジェラルドだった。記憶をたどれば、フィッツジェラルドとはどのような人であったのかを翻訳者が記した本を読み、それから主として短編を読み進めた。だから「夏服を着た女」「80ヤード爆走」などをかすかに覚えている。
買った本というのは“いつでも読める”という安心感があって、つい先延ばしにする傾向があり、それが積読になってしまうのだけど、読まないまま放置するのは珍しいことではない。
さて、いつものとおり前置きと周辺事情ばかりで、一向に中身に入ろうとしないのが、がねの特徴ではあるが、1つ、2つはとり上げよう。まず単行本のタイトルになっている「雨の朝パリに死す」を・・・。
奔放な妻ヘレンとの生活に疲れはてて失意の酒に酔いしれていたチャーリイは、妻の死によって一人娘への愛情にめざめ、娘を取り返そうとパリに戻ってくるが、ふと出会った昔の女に過去が甦る。第一次世界大戦後のパリを背景に男女の愛情のもつれを描く。
ストーリーは大衆娯楽小説であるが、空虚と孤独をまぎらすためにデカダン的な享楽を求め、アメリカをすててパリに逃避した多くのアメリカ人の一人が主人公。ちなみに雨の朝パリで死んだのは、チャーリイの妻ヘレン。なぜそんなことになってしまったのか。悔やんでも取り返しがつかない。
しかし昔買った文庫本の文字は小さくて読みづらい。
トホホ・・・
※ジャズ・エイジ
フィッツジェラルドの文学は、1920年代アメリカの、まさに生みの落とし子であった。フィッツジェラルドは、第一次大戦後のアメリカの繁栄がもたらした享楽、戦後の秩序崩壊のあの狂騒の時代を「ジャズ・エイジ」としてとらえ、みずから行動した人物であり、それだけに、この時代の特徴を最もよく代表した作家であった。

