4/13(日)今年の花見は、桜ではなく、つつじだった。

雨のため花見の会場は勝負迫のコウノさんの家、離れの一軒家。

不知火登ろう会11人が全員集合。

欠席者なし。


灰皿
パッチ
ギャラ
リー

座敷に机をぐるりと囲み、宴が始まった。

机の上に並べられた料理は、野菜の煮しめ、白和え、わらびのおひたし、山菜おこわ。デザートは、フルーツのヨーグルト和え、トマトの寒天、桜餅、さつまいもの砂糖煮。

これらは手作りで、使われている素材が極上だった。あたかも寺で食べることができる精進料理のような奥深い味わいがあった。別途、弁当が一人ずつ用意してあったのだが、ほとんどの人が弁当に手をつけることがなかった。


山の暮らしを営むのは大変で、並大抵の苦労では済まないと思う。山の手入れ一つとっても重労働であり、放置すればすぐに雑木林になってしまう。その代わりに山からの恵みを独占することができる。例えば、煮しめの具材のサトイモは口に含むとトロリと溶けてしまう。うまみがするりと沁み込んだ。筍は歯応えがないかの如くやわらかい。土の表面に芽を出したばかりの若い筍で、極上のものでしか味わえないはずだ。わらびにしてもそのやわらかさと味わいはさりげなく、そして深い。素材そのものを味わうために味付けは最小限に抑えてある。山でなければ味わえない、贅沢だと思う。


座敷の四方を見渡せば、座敷を囲むようにしてコウノさんのパッチワーク作品が展示してあった。離れの一軒家がまるでギャラリーだった。日が落ちれば、人家の灯も届かない。漆黒の闇の中に取り残されてしまったかのよう。そんな夜、パッチワークの作品を作り続けているのだ。実際に山に暮らす人には、他では得られない恵みがある。


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しかしながら大変なのは否定できない。例えば、がねは永ノ尾神社から勝負迫までの片道を歩いて、およそ1万歩。得意げに「歩いてきた」と言うと、山で生まれ育った人は「4歳から寺の保育園まで歩いて通った」と、こともなげにいう。毎日、往復で2万歩歩いていたことになる。小学校を卒業するまで歩き続けたことになるのだ。後で考えれば、そのことによって足腰が鍛えられ強い身体づくりに役立ったと言えるのかもしれないが、道路が整備され、車で移動するのが普通になった今の時代では考えられないことだ。