石巻港周辺の街を案内してくれたのは、ヤマサコウショウという水産物加工製造販売会社の社員でした。


 バスの中で、そして門脇小学校跡が見えるところでバスを下りて、案内人から3.11の被災状況、その後の復興活動について説明を受けました。


 それまでおしゃべりに花が咲いてにぎやかだったツアー客も、言葉を失くし静まりました。ただ説明に耳を傾け、食い入るように景色を眺め、胸に去来する何かと対峙しているようでした。


 現地説明を聞いた後、全員が押し黙ったままバスに乗り、石巻港から5キロ離れているというもう1つの工場、販売店に向かいました。


しらぬいのがね-ここまで津波が

しらぬいのがね-ヤマサ


 バスが着いたそこには津波がここまで来たというしるしが書かれていました。何と2.7メートルと記されています。


 この会社も操業を続けることをまず決めました。初年度は魚をさばく仕事しかできなかったそうです。


 2年目になって5割ほど回復することができた。


 3年目にして新製品を開発するなどして、ようやく7割ほど回復することができたといいます。


 とにかく前を向いて確実に前進している様子です。


しらぬいのがね-町の様子

しらぬいのがね-看板


 現地案内してくれた人は3.11の日は千葉に出張していて石巻にいなかったそうですが、家族は避難して全員無事だった、石巻に帰ってきて1メートルほど水に浸かって我が家に行ってみた、そのときは雪が降っていて寒かったことなどを話してくれました。


 今でも

石巻に生まれてよかった。

 石巻で生きていく。


 そう力強く語ってくれました。話をした皆さんがそのように思っているようです。


しらぬいのがね-店の人

しらぬいのがね-買物する人


 現地を訪れた人が口々に「むしろ被災地の皆さんに励まされた」と言っていたのが、分かるような気がしました。


 私たちが恵まれた境遇にいることに感謝し、謙虚でなければならないと思い知らされるのです。


 お店では、ゆたちゃんの友人が松島で小金を費消してきたというとおり、私たちも負けずに小金を使ってきました。ホントにささやか過ぎる程度のことですけど。


 また、松島の宿で食べた刺身、えびをことの他うまいと思いました。東北の魚介類はどこよりもうまいと思います。加工品にしても同じです。東北の物産が九州の流通に乗ることは少ないと思いますが、縁があればささやかなりとも応援したいものです。