1週間ほどブログ巡りをする時間を持てない状態が続いております。頂いたコメントにも返事もせず、申し訳ないことです。
今夜から少し時間ができるだろうと思いますので、ペタ返しなどもボツボツと始めます。記事はしばらく東北の旅を反芻することになるでしょう。よろしかったらおつきあい下さい。
さて、10/20(日)夕刻、松島の宿に荷物を置き、車で送ってもらい、まず瑞巌寺五大堂へ向かいました。
ここにはかすかな記憶が残っています。あいまいではありますが、30年以上も前のこと、正月の初詣に連れて来てもらいました。
連れて来てくれたのはデカちゃん。今は仙台市郊外の高台に暮らしています。その当時は仙台市泉区だったと思いますが、丘陵地帯の公園近くの住居で年末年始を過ごさせてもらいました。まさしく、がねが港北区新吉田町にいる頃でした。
まだ夜が明ける前、多くの人が行列を組み、ぞろぞろとゆっくり歩きました。そこが松島だということしか知らなかったのですが。その後で、瑞巌寺に立ち寄りました。
瑞巌寺に着いたとき、ようやく夜が明けました。まさしく、新年とともに夜が明けましておめでとうだったのです。
瑞巌寺境内の説明書きを読んだ記憶はありますが、せっかく連れて行ってくれたデカちゃんには大変申し訳ないことですが、ブラックミュージックには興味があったけれど、松尾芭蕉「おくのほそ道」や戦国時代の歴史などに全く興味がなく、歴史の価値や意味も分からない青二才でした。
都会の片隅で、貧乏で孤独な暮らしをしている可哀そうながねを見かねて、温かい家庭の正月を迎えさせてやろうというデカちゃんの親切からでした。
そんなことを思い出しながら、五大堂に架けられた朱色の橋を渡りました。





