9/2(月)になり、普通に仕事に出かけた。午前中は行事予定が詰まっていて慌ただしく過ぎた。昼休みに前回までのブログにアップするための記事を書いた。
午後の仕事時間が始まり、いくつかの仕事を片付けて、重松清「卒業」のオシマイ、4つ目の「追伸」を読み始めた。今度ばかりは待ち時間でもなんでもなく、れっきとした仕事時間だったけど、読み始めたら止まらなくなってしまったのだ。
敬一が小学1年生のとき母は亡くなった。母は入院中に「敬ちゃんへ」という闘病日記を書いていた。
やがて父はハルさんという新しい母を家に迎えるのだが、その直前に母の日記を読むことになる。それから新しい生活が始まるのだが、亡くなった母を慕う気持ちが強く、ハルさんに馴染むことはなかった。
敬一とハルさんとの長い闘いの日々が始まったのだ。
敬一は大学を出てサラリーマン生活をした後作家になるのだが、それでも亡くなった生みの母を忘れられず、ハルさんに馴染まなかった。ハルさんとの壮絶なバトルを続けてきた敬一が、弟の計らいにより還暦を迎える母ハルがいる実家に大晦日に帰ってきた。
あるとき敬一と喧嘩して怒ったハルさんは、実母の日記引きちぎり破り捨てたことがある。ハルさんはその日記を捨てることができずに、そのまま箱にしまい込み、時間をかけ手書きで写しを作った。その日記の追伸にハルさんが書いたこととは?
オシマイのところを読む間、小説の中の敬一と同じく涙が滲んで文字が読みづらくなる。追伸を読むときにはもう涙なしではいられないのだ何ということだろう、小説を読んでこんなに胸が熱くなるとは。年をとって涙もろくなったのだろうか。
追伸という言葉を今どき使うことはなくなった。このブログで使っているのはP.S.。ビートルズの“P.S.I love you”を聴いてからはずっとこの表記を続けている。追伸という言葉をこんなにも重く受け止めたのは初めての経験だった。


