新酒ワインの解禁日をボジョレー・ヌーボーといって、11月の第3木曜日と決められていますね。随分先の話ではないかと思われるでしょうが、朗唱の会の朱判さんからその申し込み用紙が郵送されてきました。


 それで3本申し込みました。ワインに詳しくないので、テキトーに申し込んだのですけど、1本は山梨産の白ワインで、後はフランス産の赤ワインを2本。値段はリーズナブルです。新酒ですからね。


 ボジョレー・ヌーボーなるものを知ったのは、思い返せば、そう25年ほど遡ることになりますか。オオイズミくんがまだ西武プリンスホテルに勤務している頃のことです(こんな具体的なことを書けば知っている人が多く、何かと不都合が生じるのかもしれないですけど、もう昔の話であり、既に時効が成立しているはずです)。


 オオイズミくんはホテルマンとしてバリバリ働いている頃で、ホテル内での力関係において、それなりの影響力を持っていたのだろうと推測します。


 片やがねはといえば、カミさんと結婚したばかりでしたか、調布市国領の国道16号線沿いに借りたアパートに、オオイズミくんが31のアイスクリームを手土産にして訪ねてきたことがあり、それで歓待しました。


 そのお返しだったのだと思います。とにかく赤坂のホテル内レストランでボジョレー・ヌーボー・フェアというのか、そんな催しがあるときでした。


 日時を指定して「出てこないか」と誘ってくれたのです。レストランの中はさほど混んでいるふうでもないというか、ほとんど貸し切り状態だったでしょうか。オオイズミくんがちょこちょこと顔を出して、ボジョレー・ヌーボーのワインをグラスに注いでくれて、エスカルゴ、網焼きステーキなど次々に勝手にテーブルに並べるのです。


 その頃のがねはホテル内レストランで食事をすることなど考えたこともなかったのですが、ま、ありがたくワインを飲みながら出てくる料理を平らげました。これはオオイズミくんから私たちへの結婚祝いだったのだと思います。


 はい、これはタダで飲み食いさせてもらいました。かといって、オオイズミくんが自腹を切ってもいないのです。つまりホテルマンとしてやっていいことなのかどうなのか分かりませんが、たまにこういうことをやってもいいという慣行があったのかもしれません。


 例えば、航空会社に勤めている人は無料の航空券を数回使えるとか、聞いたことがありますし、JRに勤めている人にも同じようなことがあったと思うのです。今どきどうかと思いますが、ときはバブルの時代で、何事もおおらかだったような気がします。


 ついでにもう1つ書きます。結婚式を前にして、カミさんとその両親が熊本県八代市から東京にやってきたときのこと、宿泊したホテルが赤坂プリンスホテルでした。オオイズミくんに頼んで部屋をとってもらったのです。


 「夕食はまかせてくれ」とオオイズミくんが言うので、言われるままにホテル内中華レストランに行きました。全てお任せのコースで、フカひれを煮込んだものなど、料理が次々に並べられました。


 こんなおいしいものを食べたことがなかったのですが、ここでも支払いはなし。チェック・アウトするとき支払えばいいと思っていたら、実際は宿泊料金のみでした。中華の夕食はまたもやタダだったのです。


 ちなみにその夜食べた中華料理4人分で10万円ほどしたのだと、随分後になって聞きました。やっぱりバブルの時代だったんでしょうかね。