堅志田城(かたしだじょう)の麓が栫(かこい)地区。栫は出入りさせない、柵で囲む意味のようですから、栫地区は堅志田城の最前線だったのでしょう。
平時には集落をなし、農業、畜産、その他で暮らしを営んでいたようです。川の両側に石垣を築き、家屋が建てられています。
先の城手前には味噌御殿食料の貯蔵庫を備え、舞御殿という舞台もあったようですね。
栫(かこい)地区では牛の放牧が見られ、お年寄りが数人集まって談笑している姿が見えました。
城に向かって歩いていると、椎茸のホダ木もあり、急勾配の川には濁流による水害を防止するための砂防ダムがあり、ここで行き止まり。
昔はもっと多くの家があって、大きな集落を成していたのではないかと思われます。今ではのどかな里山です。