Wikipediaによりますと、堅志田城(かたしだじょう)は熊本県に存在した中世の山城。
熊本県下益城郡美里町の尾根筋、標高256mに位置する。集落からの比高は約160mで、最高所に平坦地があり東半分は削平されている。南西および北西の集落に延びる尾根には計3条の堀切が設けられた。
阿蘇惟長は弟の阿蘇惟豊に敗れて本拠を失い、惟長の子・惟前は大永3年(1523年)に当城に入った。惟前は相良氏と結んでいたが天文12年(1582年)に島津氏が八代城まで進出した後は阿蘇領の最前線となり、島津方の攻撃を度々受けたが撃退に成功している。
このため島津氏は抑えの城として花の山城を築き、戦線は膠着した。天正13年(1585年)に甲斐親直が死ぬと甲斐親英は花の山城を攻め、合戦が再開された。同年に当城は攻め落とされて島津氏の番城となり、豊臣秀吉による九州征伐から肥後国人一揆の間に廃城になったとされる。
花の山城(はなのやまじょう)についてはこちらから
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E3%81%AE%E5%B1%B1%E5%9F%8E
堅志田城、最高所の平坦地の写真です。美里町による復元工事が施されています。ここへ不知火登ろう会のみんなで堅志田城ウォーキングをしてみたいと思い、下調べに行ってきました。美里町カントリーパークの反対側入り口、梅林神社から歩いて1キロの山道です。下調べは車でしたが、ウォーキングにして程良い感じではないかと思います。