八代未来の森ミュージアム鳥津学芸員の講演を聞くまでは、「西山宗因の名前を聞いたことがあるかな」程度の知識しか持ち合わせていなかったので、鳥津さんの話及び文章からピックアップして引用させていただきます。
加藤家筆頭家老兼八代城主であった加藤正方は、桜井素丹から里村流連歌の基礎を学んだ。宇土名和氏の連歌師・素丹は里村紹巴(じょうは)のもとに派遣されて、里村流の連歌の習得に努めた人物である。
素丹の死後、加藤正方の側近・西山が京都の里村家に派遣された。その後、八代に戻って正方のそば近く仕えた西山は、名を宗因と改めた。
加藤家改易により身分を失った宗因は、主君正方の後を追って上京。里村家のもとで連歌修行に努めた。やがて大阪天満宮連歌所の宗匠となった宗因は全国に名声を高めていった。
そして俳諧の道でもまたたく間に一世を風靡する。その宗因に憧れて出現した連歌師が井原西鶴であり、松尾芭蕉である。
途中の話をはしょって、かいつまんでいうと、このような流れでした。世はまさに激動の時代、その中に俳諧の道を志した若き松尾芭蕉の姿がありました。ミュージアムには芭蕉直筆の書が展示されてありましたよ。