松尾芭蕉が月山に登ったときのことを、「おくのほそ道」で次のように記している。


八日、月山に登る。木綿しめ身に引きかけ、宝冠に頭を包み、強力というものに導かれて、雲霧山気の中に氷雪を踏みて登ること八里、さらに日月行道の雲関に入るかと怪しまれ、息絶え身凍えて、頂上に至れば、日没して月顕る。笹を敷き、篠を枕として、臥して明くるを待つ。日出でて雲消ゆれば、湯殿に下る。


武田友宏著「奥のほそみち」には次のように訳している。


六月八日(陽暦724日)、月山に登った。けがれを払う木綿しめを体に掛け、宝冠(修行者が頭巾として巻く白木綿の布)で頭を包み、強力という者に案内されて山頂を目指した。雲や霧の立ちこめる山の中、氷や雪を踏んで登ること三十キロあまり、いよいよ太陽や月の通路にある雲の関所に入るのかと疑わしくなるほどだ。息絶え絶えに、体も冷え切って、ようやく山頂にたどりつくと、はや陽は沈んで、月がのぼっていた。山小屋では、笹を敷いて寝床にし、篠竹を枕にして横になり、夜明けを待った。やがて、朝日がのぼり、雲が消えたので、湯殿山に下った。


しらぬいのがね-月山神社中の宮


前、このブログに同じことを書いているが、芭蕉一行が月山に登ったときの様子が簡潔に記してある。本格的な登山家であればいざ知らず、がねなんぞはとてもまねできるものではない。もっとも現在では車が通る道が整備され、登山道とて広くて歩きやすいように整備されているに違いない。


今日、830日(金)、月山の八合目、弥陀ケ原を2時間ほど散策することになっている。果たしてどのような光景が目の前に現れ、どのような感慨を抱くのであろうか。