不知火登ろう会6月の恒例行事、格安日帰りバスツアー。集中豪雨の真っ只中に当たってしまい、ウォーキングは中止。仕方がない。雨合羽を用意していたけど、途中の水たまりや濡れた枕木が滑ることを考えたら、やっぱり歩くのは無理。ツアー会社にしても苦渋の決断だったでしょうけど、安全第一ですから。
そこで、向かった先は北里柴三郎記念館。北里柴三郎といえば?wikipedeaを参照していただきましょうか。
北里 柴三郎(きたさと しばさぶろう、1853年 1月29日 (嘉永 5年12月20日 ) - 1931年 (昭和 6年)6月13日 は日本 の医学者 ・細菌学者 である。従二位 ・勲一等旭日大綬章 ・男爵 ・医学博士 。初代伝染病研究所 (現在の東大医科学研究所 )所長、日本医師会 創立者、初代慶應義塾大学医学部 長、初代北里研究所 所長。「日本の細菌学の父」として知られ、門下生からはドンネル先生(ドイツ語 で「雷おやじ」(der Donner )の意)との愛称で畏れられ、かつ親しまれていた。
この方の出身が阿蘇の小国だったのです。記念館の様子を写真でご覧ください。明治に活躍した人物です。この時代を生きた方々は、今と違って、なんかおおらかな雰囲気が漂います。北里先生は、学生時代、勉強に身が入らず、何年も留年を続けていたそうですけど、後には立派な功績を残されました。今の時代は、ミスを許さず、すぐ潰しにかかるのが特徴のような気がします。