息が詰まるほどの緊迫感が最初から終わりまで続いた。司祭が踏み絵を踏む瞬間がクライマックスだった。しかし、転向後の司祭の信仰こそが小説の最も重要な部分であると思う。


 転向したからといって司祭は信仰を棄てたのではない。所属する宗派や教会からは除外されるのであるが、むしろ強制された形から自由になって、ロドリゴはより深くキリストの教えに近づき得たのかもしれない。


 これ以上のことについては、がねごときが何をかまた語るべきであって、いろんな人の意見を拝聴してみるのがいいのではないかと思う。また、思いついた意見を述べたことに対する反応をみるのもいいかもしれない。反すうして、また考えてみればいい。


 小説「沈黙」の登場人物で、主人公の司祭のほかに重要な役回りを担っているのが、キチジローである。


 キチジローは映画「ロード・オブ・ザ・リング」で手助けと裏切りを繰り返す二重人格者と同じ役回り。いや、それに比べればずっと司祭の存在を必要としている。小説ではキリストを裏切ったユダを想起させる存在である。


 この象徴的な人物の評価については、深く理解しているであろう先輩諸氏に尋ねてみたいと思う。ただ、キチジローのように司祭を売ったりはしないだろうが、我々とより近いところにあるようにも思う。