村というものがなくなってしまった。市町村合併が拍車をかけた。私が生まれ育った家は、八代郡鏡町にあった。今は八代市になったが、生まれる以前は文政村だった。その文政村、最後の村長が橋本という人であった。その橋本家の子息が同級生で、あるとき、毎月、同級生で行なっている講金の集合場所になった。

 文政小学校、中学校の同級生二十人ほどが集まって、この講金を続けてきた。メンバーは毎月一万円を持参する。話し合いで決まった一人が、集まった全額をもらって帰る。利子はつかない。金をもらった者が、翌月の座を務める。そうして、順番に一軒ずつ、私たちは同級生の家に上がりこんで接待を受け、酒食を共にする。講への出入りは自由で、多少の入れ代わりはある。これが三十五年以上続いている。ただのひと月も途絶えたことがない。

 私は地元の大学を卒業し、ある会社に就職したが、1年ほどで辞めてしまい、実家に引き上げてきた。実家には母が一人暮らしをしていたからむしろ歓迎された。その頃、講金が始まった。すぐに私は、八代市にある弁護士事務所の書生というか、使い走りになった。何の目途も立ってはいなかったが、司法試験受験生になった。給料は安かったが、四年近く弁護士事務所にいた。