たまたまテレビで尾崎豊の横浜アリーナのライブを観てたら
アリーナなんかでやったんだぁ?なんて調べてたら
会社帰りに駆けつけた85年の代々木オリンピックプール体育館のライブが
DVDになってるって知って思わず買っちゃいました
後でライブ履歴なんか見ると
横浜市教育会館や青少年センターでもやってるんだけど
その時は地方ばっかりで初めて東京に尾崎が来るって感じでしたね
尾崎のライブを初めて観た時は想像を絶する驚きでしたね
何てったってまともにマイクの前に立って歌ってる姿なんてほとんど無くてね
転げまわったりのたうち回ったり終始そんな感じでした
こんなライブがあるのかって思いましたよ
今まで尾崎豊について書いたことも無いし
あまり人と語り合ったことも無いんですよね~
それは彼の生き方がすごく良く分かってね
語り始めたらきりが無いような気もしたしね
自分の中で封印してたって感じなんですよね
1992年の4月に26歳の若さで亡くなったわけだけど
ショックではあったんだけど悲しくは無くて
尾崎らしいというか必然が訪れた感じがしただけでした
最初の出会いは「17歳の地図」いわゆるセブンティーンズ・マップね
この曲を初めて聴いた時の衝撃はスゴかったです
この頃は音楽もパッとしなくてね
久々に活きのいい若者が出てきたじゃんって感じでした
こんな尖がった眼のミュージシャンは見たことありませんでしたよ
ナイフのような危険な香りがプンプンしました
すぐにアルバムを聴いてね
今では有名だけど「15の夜」が好きだったなぁ
でもこの頃は全くと言っていいほど知名度は無くて
バンド仲間でも誰も知らなかったんですよね~
尾崎豊は実は83年から85年の3年
たったアルバム3枚だけの音楽人生だったんですよね
天才は十代最後の3年に魂の全てを吐き出したんですね
音楽という形でね
その後多くの人が耳にする曲は全部その頃の曲ですよ
だから91年のアリーナのライブで歌う姿を見ていられなかったです
もう尾崎自身の中では終わってしまってる
十代の頃の曲を歌ってる俺はいったい何なんだ
って思って歌ってるんじゃないかって思ってね
後にカリスマ扱いされてるけど
当時のファンの人は誰もカリスマなんて思ってないんじゃないかな
尾崎はもがき苦しむ自分を圧倒的なパワーでさらけ出しただけ
代弁者でも何でもない
尾崎自身にしたら一番迷惑な言葉だと思いますね
一気に駆け抜けてしまった天才の早すぎる終止符
本当の尾崎を見るならこのライブを見ろってことですよ
俺の中の尾崎はこんな感じかな
俺が音楽を見る時の基準の一つになってるのは間違いないです
でわでわ