「闘想家」“Show”大谷泰顕の『世の中バカなのよ』(回文) -5ページ目

Step.62 IGFとは「顔面アリ」の世界である!〈前編〉

ここを訪れし皆様。
お疲れ様です。

2016年になって早くも2カ月が過ぎようとしている昨今、
明日はいよいよ今年初のIGF大会『GENOME35』が開催されます。

IGFといえば、昨年大晦日、両国国技館において
『INOKI BOM-BA-YE 2015』が開催されたのだけれど、
なかでも下記の2試合が、他の試合とは別の異彩を放っておりました。

それこそが藤田和之×澤田敦士戦、小川直也×橋本大地戦の2試合であります!

大地
(※写真は全てBSフジで放送された『INOKI BOM-BA-YE 2015』中継より)

小川

なぜこの2試合なのか?
もちろん人によっては、他にも際立った試合があっただろうけれども、
他とこの2試合では、「歴史」を紐解くきっかけという点において、
大きな違いが存在する、というのが自分の見立てであります。

というのも、奇しくもこの2試合、
決着はともに「顔面蹴り」になったのだけれど、
IGFというアントニオ猪木の遺伝子が流れるイベントにとって、
これは非常に重要なキーワードになっているから。

顔面蹴り 

曰く、「顔面アリ」。
格闘技界において「顔面アリ」とは、
簡単に言ってしまうと、顔面を攻撃してもよいルールの試合のこと
(という言い方でよいのだろうか?)。

ここでは説明を省くけれども、
格闘技界、とくにカラテを生業としてきた方々にとっては、
かつて長らくこの「顔面アリ」が
大きなテーマとして君臨してきた時期が存在します。

そして、アントニオ猪木が「格闘技世界一決定戦」をひた走り、
その当時の格闘技界の最前線にプロレスが存在していた頃すでに、
5カウントまでなら反則が許されるというプロレスの世界においては、
それが許されるからこそ、逆説的になのか、
「顔面」への攻撃は、あまり積極的に行なわない
という暗黙の了解が存在する、との説が囁かれていたのです。

だからこそなのか。
プロレス界では時折この「顔面」への
攻撃を巡る試合が物議を醸してきた「歴史」があります。

例えばそれが最も顕著なのは、
今でもネット上でその試合の一端を確認することのできる、
力道山×木村政彦戦(1954年12月22日、蔵前国技館)になるでしょう。

これが70年代になると猪木×グレート・アントニオ戦(1977年12月8日、蔵前国技館)が、
80年代には長州力への前田日明による顔面蹴撃事件(1987年11月19日、後楽園ホール)
象徴的なのだけれど、なぜそこまで物議を醸すのか?

それは各人の見解があるだろうから一概には言えないのだけれど、
考えてみれば「暗黙の了解」――つまりマナーとして
「顔面アリ」が決して行儀のよいものとして
存在していないのだとすれば、
たとえその存在がどんなに重要であったとしても、
自然とその部分への認識が薄れていくのが人情。

なぜならいつの世も、目の前の「現実」に向き合いながら
時代が流れていくのが常だからであります
(※非常に伝わりにくい言い方をあえてしている点はご容赦を)。

即ちその結果、プロレスラーが「顔面アリ」を
苦手としてしまうことにつながってしまったのではないか。
自分はそう考えるのです。

果たしてその苦手意識を克服するためなのか、
プロレス界にはこれまで様々な挑戦が行なわれてきた
「歴史」が存在します。

ちなみに、自分がプロの目としてそれを
克明に目撃したのは90年代に入ってから。
その当時前衛的だったのはパンクラスだったのだけれど、
所属選手の高橋義生や柳澤龍志などは
ボクシンググローブを着けてトーワ杯なる
カラテの大会に出場しながら「顔面アリ」を経験し、
鈴木みのるはモーリス・スミスという
キックボクシングの世界王者を相手にキックルールで挑んで行きました。

そういった姿を間近に目撃しながら自分は、
確実に「歴史」を五感に刻んでいた記憶があるのです。

もちろんその流れは1993年11月、
ついに『UFC』が産ぶ声をあげたことによって
一斉に花を開くことになるのだけれど、
これは現在の競技化されたそれとは全く違う、
まさに「顔面アリ」の集大成として誕生した感があったのであります。
あくまでこの時点においては…。

実際、自分はその当時、「アルティメット」と呼ばれていた、
第3回『UFC』(1994年9月9日、ノースカロライナ州)を
初めて目の当たりにした際、
確実に自分の業界史において身震いせざるを得ない瞬間のひとつを
体感させてもらった記憶が残っています。

確かにこの当時の『UFC』のもつバイオレンス的な側面は
瞬く間にこれ以上ないほどの賛否を呼び、
とくにプロレス界には非難の嵐が吹き荒れまくっていたのだけれど、
そんな流れを一瞥しながら、
いち早くこれに反応した人物がおりました。

我らがアントニオ猪木であります!
当時の猪木はすでに第一線からは退いていたものの、
すぐさま『UFC』の映像を入手。
当然、自身の経験を裏付けにしながら、
この現象を分析・解析していたのです。

ではなぜ猪木はそこに反応したのか。
その後、日本においては『PRIDE』が97年10月より誕生し、
正式に2000年からは猪木もその流れに加わっていくのだけれど、
おそらく猪木のアンテナには「顔面アリ」を無視しては通れない、
直感的に反応せざるを得ないシステムが内蔵されていたのでしょう。

なぜなら「顔面アリ」こそが、
この国で「闘い」を生業にしながらイベントを開催していく上で、
失ってはならない根源的な絶対条件だということを、
皮膚感覚で理解していたからではないか。
自分はそう思えてしかたがないのです。

要約すると何が言いたいのかといえば、
どんな世界も「歴史」を軽視してはならないのであります。

たとえどんな「現実」が目の前にあったとしても、
「歴史」には常にその「現実」を乗り越えていく回答を
導き出すためのヒントが隠されている。
だからこそ我々は再度、「顔面アリ」に
正面から向き合う必要性を感じているのです…。

2016年2月25日                       “Show”大谷泰顕


Step.63 IGFとは「顔面アリ」の世界である!〈後編〉に続く】




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